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ゴーヤのせい

引き続き、一時帰国中の話。

いつからか、「趣味がない」というのが母の口癖になっていた。単に断言しているわけではなく、母の言い方からして、「私には趣味がないから、まったく困ったもんだ」という意味合いだと推測される。

趣味がないと如何して困るのかはさておき、この発言は世紀の大嘘、じゃなくてとんだ勘違いである。母は仕事を続けているにも拘らずむしろ多趣味だ。語学の習い事の他、読書好きで、家ではレコードをかけて父と楽しそうに踊っているし(私は空しく単独で)、的確でスピーディーな編み物を得意とする。母からアメリカ宛に送られてくる郵便物には、「先週、Law & Order を観ながら編みました」という葉書と一緒に手編みのカーディガンが丁寧に詰めてあったりする。母がエグイ発砲沙汰シーンなどを観ながら編んだと思うと、殊更カーディガンに愛着が沸く。

熱中していたかと思えばある日パタッと辞めてしまった「趣味」もある。母は一時期キルティングにはまっていた。「キルティング仲間」と一緒にそれは狂ったように針を動かし、当時住んでいた家には、ここはアメリカ中西部のカントリーハウス?と間違えられてもおかしくない量のベッドスプレッドがあった。全部が手縫いだったので私も小学校のときに手伝わされた覚えがある。様々な大作を築いたら飽きてしまったのだろうか、母の短くも激しいキルティング時代はアッサリと幕を閉じることになるが、今でも家の変な場所からキルティングの切れ端(未完成の作品があったらしい)がぽろっと出てきたりする。何故あれほど夢中になっていたか、母自身にも理解不能だ。

キルティングやらには流行り廃りがあるが、母は長年ガーデニングを愛してきた。この趣味だけは、変わらぬまま。ガーデニングと言ってもマンションなので、大半が室内もしくはベランダで育つ植物である。ココヤシ(愛称はそのままココヤシちゃん)や、パキラ(パキラちゃん)、まん丸の大きな種から育て上げたアボガド(やっぱりアボガドちゃん)、オリヅルラン(少し難しい名前になると、あだ名が付かないらしい)などは昔から我が家に住んでいる。季節によってシクラメン、ポインセティア、オクラ、プチトマト、ハーブ各種が登場する。

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大きくなり始めてまだ日が浅い。


今回、私が実家に帰ると、ベランダでゴーヤが元気に育っていた。それはベランダの一角に覆いかぶさるように蔓が伸びており、所々に薄い黄色の花が咲いている。葉は顎のラインが尖ったコアラの顔のような形だ(分かりにくい説明)。そして一番下の方に、一つだけ小さな萎んでしまった緑の風船のような物体がある。葉が生えてもいないようなところにゴーヤの実が生っているではないか。長年大切に育ててきたのに一度も実ができなかったアボガドに対し少し冷たく接する母のその愛情は今、この一つのゴーヤの実に全力で注がれている。もっと蔓が渦巻いているようなところに生るものだと思っていたが、とりあえず頑張れ、ゴーヤちゃん!思わせぶりで気まぐれなアボガドに代わって、母の愛に応えてくれるだろうか。

みるみる大きくなる、丸みを帯びたゴーヤ。それを煙草を吸いにベランダに出た父が真剣な表情で観察し、水をやったりしている。

このゴーヤのせいで、私はとうとうワゴンから落ちてしまった。何回目になるだろうか。「ワゴンから落ちる」(fall off the wagon)は元々「禁酒に失敗する」という意味があるが、ダイエットなどに失敗したときにも用いられる。私の場合は喫煙に失敗したのだ。それも潔く落下したというよりも、鯨を見にいった7月からずるずると引きずり下ろされ、とうとうワゴンに逃げられたという感じである。


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Baron C. de Grimm. 1893. Public domain.

それにしても日本は煙草が吸いやすい。北ナンデモアリフォルニアに比べれば喫煙者が断然に多いし、お酒がある所では必ず煙草が吸える。

いえ、環境のせいにしているわけではないですよ。ゴーヤのせいなのです。

ベランダに出るとゴーヤがまずそこにあり、その手前に父が灰皿代わりにしている大きな皿と低い椅子が置いてある。椅子に座るとちょうど目線がゴーヤちゃんのところに来る。ゴーヤの様子を見に外に出ると椅子に座るのが自然で、座るとちょうどそこに灰皿があるのだから、では一本吸いながらゴーヤを眺めようではないか、となってしまう。東京には私の喫煙の友、ウッドバート・ドミンゴがいないかわりに、ゴーヤちゃんが煙草の友になってしまった。

しかしそのゴーヤちゃんも先日収穫されてしまった。「もうそろそろ収穫の時期じゃない?」「まだ大きくなるんじゃない」「そろそろ収穫していいかなあ」「いいや、まだまだ」「今日くらい収穫?」という他愛ない家族会議が何日か続いた末、我慢できなくなってしまった母が、「私、収穫しちゃう!」とベランダに飛び出て、勢いで切り取ってしまった。

立派なゴーヤチャンプルに変身したゴーヤちゃんは、あんなに可愛がられていたのに実際に食べてみると「なんか、けっこう苦いね」と不評だった。そりゃあ苦いよ、ゴーヤなんだから。

再び煙草の友がいなくなり、少し寂しいベランダ。今朝、何も生っていないゴーヤの蔓をぼーっと見ていたら、なんと、奥の方にもう一つゴーヤの実ができている。食べてしまったゴーヤより何倍も大きく見える。受粉もせずに放ったらかしにしてあったのに、こいつはひっそりとすくすく成長していたのだ。

新しい煙草の友(ゴーヤちゃん二号)ができてベランダに出る楽しみがまた一つ増えてしまい、当分ワゴンに乗れないのではないかと心配になる。自分が強い意志を持てばできるはずなのに、やはりゴーヤのせいにしてしまう今日この頃。

その一方で母はそろそろゴーヤに飽きてきたようで、新しい「趣味」を開拓しようとしている。

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by majani | 2014-09-12 00:04 | 言葉と物

カリフォルニア、ニューヨークを経て、ボストンにやってきた学者のブログ。海外生活、旅行、日常の記録。たまに哲学や語学に関するエッセイもどきも。


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