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鯨を見る

クジラを見に行ったら、風邪をひいた。

母と父が東京から遊びに来ており、親子三人でサンフランシスコのピアー39から出ているウェール・ウォッチング・ツアーに参加した。ファラロン島という場所まで船をがんがん飛ばし、その辺りでゆっくりとクジラ、アシカ、アザラシ、海鳥などを観察してから、ゴールデンゲートブリッジをくぐって戻ってくる、という内容のツアーだ。

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船は意外と小さいく、一度に全員は中に座れない。私たちをクジラに導いてくれるのは海洋生物学者の若いガイドと、船長と、もう一人役目がなんだかよく分からないけれど鳥に凄く詳しい人との三人チームである。

船長が始めに「俺はキャプテン・ジョーだ」と自己紹介をしたので、まるでテレビか漫画に出てきそうな人だなあ、ジョーという名前がぴったりだなあと思っていたら、肝心の注意事項の大半を聞き逃してしまった。

一つだけ鮮明に頭に残ったのが、「気持ち悪くなったら、船の後ろで吐いてね」という指示。トイレに流さず、海の中へ直接嘔吐するらしい。そのためのスポットはココ!と事前に定められている。

ところで、船上のトイレは紙さえ流してはならない、大変センシティブというか、軟弱なトイレらしい。しかし具体的な嘔吐スポットが決まっているということは、それほど船酔いがひどい人が多いのだろうか。嫌な予感がするがそれは一瞬だけのことであり、こういうことに限って自分は大丈夫だと思ってしまうのが人間。船に乗る前に買ったカフェラテにビスケットをディップしながら食べ、「美味しいね、ワクワクするねえ」と母と話し込む。

周りの人も上々の気分で楽しいムードが漂う。お菓子を食べたり、カメラを念入りにチェックしたり、つまらない冗談を交わして大笑いするなど、和気藹々とした船である。船がベイを出て間もない地点でゼニガタアザラシに遭遇すると、さらに盛り上がる。

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船に揺られること二時間半。ムードは激変する。

一時間も経たたないうちに、船酔いで代わる代わる嘔吐スポットを利用する乗客が続出。さっきまでコカコーラを飲んで楽しそうにしていた女性が、今度は嘔吐スポットの隣に座り込んでしくしくと泣いているではないか。恋人といちゃいちゃしていた若者も、今は恋人を突き放して一人で遠くに目を凝らし、顔色悪くしている。見ているだけでこちらが寒くなりそうな薄着で、鼻を真っ赤にしているイギリス人の青年。目をつぶって死体のようにじっとしているピーコートの男性。なんとか船酔いを凌ごうとジンジャーキャンディーをゆっくりとくちゃくちゃ音を立てて噛む地元ナンデモアリフォルニア人。なんだかとても悲しいボートになってきた。

すると私の母もやられた。朝はあんなに元気にビスケットを食べていた母が、顔を真っ白にして蹲ってしまった。心配で背中をさすったら、「ごめん、今ちょっとさすらないで」と断られてしまった。私自身は船酔いしたことがないので、どうしたらよいのか分からず、明らかに大丈夫じゃないのに「大丈夫?大丈夫?」としか連呼できないとても役立たずな娘だった。母、ごめん。

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船の揺れが悪化している。海洋生物学者のガイドさんに聞くとジンジャーキャンディーをくれるので、母のために一つもらおうとフラフラしながら立ち上がり、やっとのことで五歩進む。東京の通勤電車で足とバランスが鍛えられているのではないかと自分の体に期待していたが、案の定、期待に応えてくれない駄目な体だった。おむすびころりん状態でガイドさんの腕の中に転がり込む。

さて、無事キャンディーをゲットして母が座っているデッキに戻る途中、チラッと目に入った気になる言葉。船には65人程度乗っている。救命胴衣が収納されている容器がデッキに置いてあるのだが、そのふたの部分に「53個入り」と小さな白い文字で書いてある。

53個入り?このまま私たちの小さな船が沈んだら、ライフジャケットがない12人はどうなるのだろう。しかし53とは中途半端な数ではないか。容器を適当なサイズで作ってみたら53個しか入らなかったのだろうか。もしライフジャケットをめぐり戦わなければなかったら、イギリス人青年はやっつける自身があるけれど、コカコーラの女性は私の体の三倍くらいあるので相手が船酔いしてても手強いかもしれない。

寒いので、しばらくして船の中に移動する。中も船酔いでダウンしている人だらけだ。なんて無様な光景であろうか、ナポレオンがモスクワから退却するときの兵士の様子はこんなだったに違いない。その死体の海の中に父が肩を竦めて寒そうに座っていた。


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Northen, A. (1828-1876, public domain). Napoleon's retreat from Pontin's Southport.


しかもクジラがなかなか見つからないではないか。灰色の海と雲だけである。とてつもなく寒い。ベイを出発したときはあんなに皆で騒いで写真を撮っていたウミガラスも、今となっては冷たくシカトされている。

ファラロン島周辺でやっとクジラを発見。地球上最大の生物、シロナガスクジラの親子だ。水面まで来ているので、大きな体のところだけ水の色が違う。大きすぎてむしろ恐い感じが最初はしたが、幻想的だ。船の近くで陰を作っているのがくっきり見える。

クジラは「ぶほっ」という音を立てて、潮を吹く。その煙突状に上がる「ぶほ」を発見すると、「4時の位置にクジラがいるぞー」とか「9時の位置にぶほが出たぞー」とか誰かが叫び、ジョー船長がよおし!と腕まくりをして慎重かつ速やかに船をそちらの方へ近づける。運が良ければ、クジラの背中や尻尾が見られる。

その後、別のシロナガスクジラを何頭か見ることになる。気持ちを悪くしていた母も頑張ってデッキに出ている。

私は「ぶほ」ばかりに集中しており、クジラの生の背中が見えたのかどうかイマイチわからない。けれど、一応見たことにしておこう。私は生まれて初めて、野生のシロナガスクジラを見たのだ。

帰りに母と父は再び船の中に閉じこもってしまい、私は外のデッキで、船酔い第二弾にやられている人たちが少ない側に座り、海を眺める。沢山のウミガラスが荒れる海の波を平然とサーフしている。無視され続けるウミガラスだが、私は彼らを観察するのがけっこう好きだ。空飛ぶペンギンみたいで、容姿もお茶目な感じの海鳥だ。

そこに一羽だけ、くちばしが朱色で黄色い耳のような羽が頭にある変なやつが現れた。海にぷかぷか浮いているそいつをぼーっと観察していたら、海洋生物学者ともう一人の役目のわからない人が急にデッキに飛び出してきて「タフテッドパフィンだ!タフテッドパフィンだ!」と叫んだ。海洋生物学者が立派なカメラを取り出し撮影しようとするが、ちいさなパフィンは一瞬にして大きな波に乗って、どこかへ消えてしまった。隣の女性は「あーん、私見えなかった」と残念がっている。


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Lydekker, R. (1895, public domain). The Royal Natural History. Volume 4. Frederick Warne and Co.


なにやらこのエリアではとても珍しいパフィンの種類らしい。ウミスズメの一種で、日本語ではエトピリカという。オホーツク海にもいる。

無事、帰還。母もすっかり元気になり、お腹が空いたねと言ってサンドイッチを食べ始めた。母と一緒に食べたこのサンドイッチ、別にたいした物でもないのに、今まで食べた数多くのサンドの中で一番美味しかった。海に出ると、サンドが美味しくなるのだ。


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一日中、船に揺られているような感覚が体に残っている。その後、私は案の定、風邪をひいたが、とにかくライフジャケットのために戦わなくてよかったとホッとしている。


Or me.

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by majani | 2014-07-11 16:08 | 動物王国

カリフォルニア、ニューヨークを経て、ボストンにやってきた学者のブログ。海外生活、旅行、日常の記録。たまに哲学や語学に関するエッセイもどきも。


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