こちらは古い地図のフレスコ画が両側の壁を覆う。
綿密で美しい地図。じっと見ると、何隻もの船が集まって戦っていたり、海賊船が旗を揺らしていたり、不思議な海の怪物がぽこっと頭を出していたりする。真っ青な海の上でいくつもの小さなドラマが繰り広げられている。
写真の左下の方に描かれている金色の蜂はカトリック教のシンボルだと、ツアーグループの解説を盗み聞きした。
薄暗くて静かな部屋に迷い込んだ。窓の外で、白い日差しが夕方のハチミツ色の光へと変わり始めている。
私も窓際で休憩。ふと足元を見ると、奇麗なタイルが敷き詰められている。万華鏡を覗いているみたい。
古代ローマ、ルネッサンス期の芸術品が多いが、もう少し近代的なものも所蔵されている。ゴッホ、ダリ、マティス、ロダンなどの宗教をテーマとした作品を拝見した。
私が特に気に入ったのは、上のイタリアの彫刻家 Giacomo Manzù による小ぶりの像。1960年代の物。
アリストテレスくんもいた。
さて、ヴァチカン美術館のハイライトといえば、ミケランジェロが手掛けた超大規模フレスコが天井を覆うシスティーナ礼拝堂である。いろいろな情景が描かれているが、私の中で最も印象が強いのはアダムが神様とET的に指を触れるシーンだ。
礼拝堂のタペストリーを担当したのは、売れっ子アーティストのラファエロ。野心家のラファエロは、一方的にミケランジェロをライバル視していたとのこと。
先日、ポッドキャストで聴いて初めて知ったが、礼拝堂の依頼がきた当時、ミケランジェロは、「あいつ、絶対に失敗するぜ、ぐっふっふ」と陰で笑われていたらしい。ミケランジェロ自身もいやいや作業に取り掛かったという。システィーナ礼拝堂の天井を頼まれることは大変光栄なことだと勝手に思っていたが、そうでもなかったようだ。さらに私は、天井に絵を描くには仰向けで作業するものだと思い込んでいた。実際ミケランジェロは、観光客と同じ、立ったまま、首をひん曲げた状態で長時間にわたり筆を動かしていた。(この体勢、すごく辛い、と友人に愚痴をこぼす手紙が残っている。)わたしも首がへし折れるかと思った。時を越えてミケランジェロに激しく同情する。
さて、ミケランジェロは、作品が仕上がるまで誰にも見せないようにしていた。そこへある日、ラファエロが、「どんな下手な絵を描いているかな、ふふふちょっと覗いてやれ」とこっそり視察にきた。それがもちろんスゴく上手いので、がーーーん!ときたラファエロは、ほぼ完成していた自らのタペストリーをいちからやり直したそうだ。馬鹿にされていたミケランジェロ、リベンジを果たせたといえよう。辛い姿勢に耐えた甲斐があったねえ。
こういうスカッとする話、好き。ラファエロも憎めないワル(?)で好き。
礼拝堂の中では写真撮影が禁止されていたため、上はウィキペディアコモンズより拝借。腕を差し伸べるアダムは写真の上の方に見られる。正面に写っている壁のフレスコは『最後の審判』。写真:Antoine Taveneaux。
ついでだから、システィーナ礼拝堂に関する逸話をもう一つ。
元々の『最後の審判』では、登場人物が素っ裸で描かれていた。しかしこれが思わしくないと教皇のお偉方がブツブツ言い始めたため、システィーナ礼拝堂の危機を察したミケランジェロの弟子 Daniele da Volterra は、1565年に、大胆な行動に出る。自由奔放に裸を晒す『最後の審判』の登場人物にせっせとパンツを履かせた(描き足した)のである。(パンツというか、羽衣的な物や、都合よく配置されたイチジクの葉など。)
よって、システィーナ礼拝堂のパンツ絵師、という少しマヌケな評判が定着してしまったダニエレ・ダ・ヴォルテラであるが(イタリア語で「大きなパンツ」という可哀想なあだ名がついた)、そのおかけでミケランジェロのフレスコ画はトリエント公会議による宗教画におけるヌード禁止令から免れ、システィーナ礼拝堂は取り壊されてしまう運命から救われたのだった。そう、パンツ絵師のおかけで、私達は今こうして首を痛くしながらミケランジェロやラファエロやボディチェッリの作品に胸を打たれている。ありがとう、パンツ絵師ダニエレ!スゴイ貢献だよ!
迷子になった。閑散とした美術館のルートを折り返して出口を探していると、先ほどまで大勢の人で賑わっていた彫刻のホールに出てきた。今は門が閉じられ、中でおばちゃんが一人、しゅっしゅっとモップを押している。