ラマがいない生活
2021-01-03T04:26:31+09:00
majani
カリフォルニア、ニューヨークを経て、ボストンにやってきた学者のブログ。海外生活、旅行、日常の記録。たまに哲学や語学に関するエッセイもどきも。
Excite Blog
135,700,001番目
http://llamainai.exblog.jp/32083175/
2021-01-03T04:26:00+09:00
2021-01-03T04:26:31+09:00
2021-01-03T04:26:31+09:00
majani
絵葉書もどき
米報道はワクチンの話題(とトランプが数週間後、ちゃんと立ち退いてくれるのかという疑問)で持ち切り。
自分の年齢・職種・リスクカテゴリーなどを記入するとワクチンの順番がいつ回ってくるか予想してくれるという、ニューヨークタイムズ紙の "Find Your Place in the Vaccine Line" をやってみた。私の前に全国で約135,700,000人いるという結果が出た。・・・ん、つまり?数字が大きすぎてピンとこないけれど(こんな整理券もらいたくない)夏休みくらいには私のデモグラフィックに回ってくるかなあ程度の漠然とした気持ちでいる。
オペレーション・ワープ・スピードなんてSF漫画みたいな名前が付いた米国のワクチン政策であるが、実際は不完全なコーディネーションでぐずぐずしている印象が強い。今年は、さっさとワクチンを打ってもらって、雰囲気だけでもいいから「普通」の生活を送りたい。
明けましておめでとうございます。
不定期な更新ですが、今年もどうぞよろしく!
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エビを愛でてタイムワープしてしまう問題
http://llamainai.exblog.jp/32078004/
2020-12-31T02:44:00+09:00
2020-12-31T02:44:55+09:00
2020-12-31T02:44:55+09:00
majani
動物王国
春からほぼずっと、自宅・食料品買い出し先・誰もいないハイキングトレールの三カ所くらいしか行き来していない。人間は社会的動物だというので、少し退化していてもおかしくないくらい一人の時間が多い一年だった。(相棒リルケはガラガラの職場に車で通い、個室オフィスに籠って研究と授業を行っている。私は自宅で仕事をしていて、何カ月もキャンパスに足を踏み入れていない。)通勤がなくなったり、毎年通っている学会がキャンセルされたり、ホリデーパーティーがズームで行われたり、一日、一週間、一年の節目がすべて失われてしまった2020年。時間の流れの感覚が狂ってしまい、遅いようであっという間だった。
今日はそんな時間のロスについて。
話は真夏のある夜に遡る。新学期のため全国中から学生が舞い戻ってくる時期を迎えようとしていたボストン。家で籠城中の私は、ユーチューブが何故か勧めてきた水槽の動画をなんとなく観た。そして、俄然アクアリウムを始めたくなった。
というわけで、水槽を立ちあげた。
子供の頃に色々な熱帯魚を飼育していたことがあり、経験ゼロではないのだが、このブログさえ放置しがちなのでしっかり管理ができるか心配。なので少しお勉強をして、フィルターもポンプもCO2も肥料も全てが不要だという、ローテックかつローメンテナンスな水槽にしたいと思った。つまり、放置プレイできるアクアリウムである。
小規模な2.5g(9.5ℓ)の水槽・・・というか Anchor Hocking の普通のガラス瓶を購入した。
米国では水槽って意外と高いのですよ。お手並み拝見(?)ということで、まずは瓶でいいやと思った。お洒落に言うならばボトルアクアリウム。
光、土、水、水草と生体だけで、小さな生態系を作りあげていくのが目的である。この究極のローテック方式は、1999年に出版された Ecology of the Planted Aquarium の著者Diana Walstad が広めたことによって、ウォルスタッド・メソッドと呼ばれることもある。下記の記録は、私がウォルスタッドの本とウェブサイト( 主に https://dianawalstad.com/aquariums/ の « Small Planted Tanks for Pet Shrimp »という記事)から情報をかいつまんで実践した結果なので(失敗談含む)、ものすごーく投げやりな説明だということを先ず大声で断っておきたい。私もアクアリウム放置プレイしたい!という方には、実証されたサイエンス満載のウォルスタッドの著書を直に参考にしていただきたい。
オーガニックの土(人工肥料が入っていない物が重要)をふるいにかけ、水槽の底に1インチ程度敷く。少し濡らして割りばしなどで空気を逃がし、上に普通の砂利を1.5~2インチほど敷く。カルキ抜きした水を入れる。水と砂利だけ入った状態で2日ほど放置(容器の水漏れチェックになると同時に、水の濁りが落ち着く)。3日目、水草を植える際に初めての水替え。
水草を植え始める。少しだけ水が入っている状態がやりやすかった。
さて、窒素循環(nitrogen cycling )が完了するまで(つまり水のバランスが取れるまで)1〜3ヶ月ほどかかるとのことなので、水草を植えてから1ヶ月ほどそっとしておいた。良いバクテリアの繁殖を促すため、水替えはちょびちょび、定期的にする程度だ。
この序盤のポイントは、多種の水草をいっぺんにうりゃうりゃうりゃあ!と沢山植えること。自分のコントロール外である地域の水道水や気温によって向き不向きがあるので、とにかく色々ぎっしり植えてみる。私は成長が早い水草を多めに選んだ。また、コウキクサ(Lemna minor)やアマゾンフログビット(Limnobium laevigatum)など水面に浮かぶ種類を一つ取り入れると、丁度いい具合に光を遮ってくれるため、不安定な初期でもアオミドロやコケが発生しにくくなるとのこと。
右から:Micromeria brownei ('Creeping Charlie'), Rotala rotundifolia ('Rotala indica'), Ludwigia repens, Bacopa monnieri ('moneywort', 'water hyssop'), Saggitaria subulata。袋に入っているのは、上が池の表面などによく浮かんでいる Lemna minor ('common duckweed') 、下が Anubias nana の petite というバラエティ。
オンラインで注文した水草は、スーパーのスパイスセクションでも簡単に手に入る alum を溶かした水に一日放置し、スネイルの卵を除去する。…といっても完全な処置ではないので、けっきょく二、三匹の pond snail を後に発見することになるが、苔取りチームとして残ってもらった。羊のくるくるした角のような殻がかわいい。半透明の殻の中に薄いピンクの渦が見える。
植えた初日の様子。水が白く曇っているのは、バクテリアブルームが起きているせいだと思われる。数日のうちに自然に消えるので、これも放置。ルドウィジア以外、全ての水草がぐんぐん成長してぼんぼん増えてくれた。アヌビアスは現在違う瓶に移動させてある。
ところで窒素循環とは何ぞや。枯れた植物、生体の排出物、土などから発生するアンモニア → 亜硝酸塩 → 硝酸塩という具合に、硝化専門の善良なバクテリアが、熱帯魚や甲殻類に毒であるものを次々と変換してくれて、それを最終的に植物が肥料としてまた取り込み、水が自然にメンテナンスされる・・・はず。この窒素サイクルが自然に行われるようになった時、初めて生体を投入する。
窒素循環のプロセスをスピードアップするために市販のバクテリアスターターやアンモニア液(?)を利用する人もいるようだが、私の瓶・・・いえ、ボトルアクアリウムの場合、とても小さいし、のんびりとやっていたので、何も使わず観察していただけ。何かしら土や草にいるでしょバクテリアと安易に考えていたら、実際に割とすんなりサイクルが完了した。ラッキーだった。
一カ月経過のアクアリウム。
さて、ここからいきなり大惨事なのだ。水が安定したので、一ヶ月ほど経った時に、若いヤマトヌマエビを三匹迎え入れた(米国では、日本人のアクアスケーパー、アマノ・タカシ氏に因んで、アマノ・シュリンプという名称で売られている)。水合わせも上手くいき順調だったのだが、ある日、カゲロウのヤゴがぽつぽつ現れ始めたのである。水草の茎に忍ばせてあった卵から孵ったのだと思う。
ヤゴは小さなすらっとした姿をしていて小魚やエビちゃんを瞬時に捕らえて食す水中の魔物。2匹ほど追い回して退治したが、やがてエビちゃんが3匹ともやられてしまった。
ものすごく気の毒なことをしてしまった。でもこれも自然の摂理。
しばらく悲しみに暮れて仕事に没頭していたのだが、気が付けば水槽立ち上げから3ヶ月経っていた。さすがにヤゴはもう出ないし、水草もスネイルたちも元気そう、水質は抜群。またエビちゃんに挑戦してみようという気持ちになった。
3ヵ月経過。なんだかごちゃごちゃしているけど、みんな元気そうだから、まあいいや。Hairgrass を少し剝いて Staurogyne repens、Alternanthera reineckii 'mini'、Glossostigma elantinoides を前景に加えた。後ろの松の木みたいなのは、私が勝手に森で拾ってきた苔を枝に括り付けたもの。実験的に突っ込んでみたらうまく育った。
今月の頭、新しくレッドチェリーシュリンプを買ってきた。
学名は Neocaridina davidi といい、赤、黄、茶、青、緑まで、絵の具で塗ったような不自然なカラフルな種類がある。「サクラ・オレンジ」なんていうバリエーションまで。(なんだサクラオレンジって、ピンクじゃないのか!と突っ込みどころ多いネーミングがある世界。)普通のレッド版を迎え入れた。
水合わせは、ルッコラが入っていたプラスチック容器を使い、サイフォン式で2時間かけて慎重に行った。10分毎に古い水を少し抜き、水量が元の倍くらいになったらネットで掬い出して水槽に移す。
昔は「水合わせ」というと魚が入ってきた袋をちょいと水槽に浮かせておくくらいのことだったのに、ホビーも進化しているのだなあと感心しながらサイフォンが終わるのを待った。
ホッ、元気そう。
その後、飼い猫が具合を悪くしたため動物病院にすっ飛んでく事件や(ただの風邪で、今は元気な状態に戻っているのでご心配なく)仕事のゴタゴタなどが一度に到来し、餌の世話以外エビをあまり気にしていなかった。その間に、二匹の姿が見えなくなってしまった。おとなしい感じの二匹だった。水質には問題ないので、おそらく環境の大変動に馴染めず死んでしまったのだろう。残念。(でもヤゴの時よりはショックが少ない。)
残る二匹は数週間経つ今も仲良く元気にやっている。見分けがつき、なんとなく性格も違う。うちにやってきてから、色もイキイキとしてきた。時々アーモンドの枯れ葉を入れてやったり、野菜の切れ端をやったりするのが些細な楽しみ。さっと湯がいたケールや芽キャベツが好評。
エビは、キャンディケーンのような島縞模様の脚をひたすらしゃかしゃか動かしながら、流木をうっすら覆うコケや草の根に住む微生物などを食べる。せっせと餌をかき集めるその姿は、草をひたすらむしゃむしゃやっている牛にどこか似ている。この長閑な風景、延々と見ていられるのだ。「よーし、ちょっとだけ休憩してエビを見よう」と瓶に顔を向けると、「あれッ、夜?!」と2時間がどこかに消えていることがある。エビをぼーっと見ているうちにリルケが帰宅し、「まじゃーにさん、暗い部屋で何やってるの」と声を掛けられてトランスから解放されたこともある。
レッドチェリーシュリンプはタイムワープ能力を備えているのだろうか。
私は漫画を読んでいてもタイムワープをすることがあるので、エビをハギオちゃんとテヅカちゃんと名付けた(二匹とも雌)。
ところで、水草にヒッチハイカーとしてやってきた、ごく普通のスネイルたち。私はボトルアクアリウムで火が付き、先月、10g (38ℓ)の「ちゃんとした」水槽でウォルスタッド式のセットアップを始めたのだが、窒素サイクルを促すためにスネイル(の糞)に協力してもらった。上はその新しいアクアリウムの一部。スネイルは、瓶のガラス、草の葉、流木の表面をずっとのそのそのそのそ無言で這っている。これも私は延々と見ていられる。
そしてスネイルも、ある意味タイムワープをしている。
Jakob von Uexküll の生物学の古典『生物から見た世界』に、カタツムリを使った実験の例が載っている。ゴムボールに乗った被験者(研究者に捕まってしまった不運なカタツムリ)の殻を洗濯ばさみで固定すると、カタツムリは匍匐運動を妨げられずに、同じ場所にとどまっている。そこで足元に小さな棒をあてると、カタツムリはその上によじ登ろうとする。また、この棒で軽く三、四回突っつくと、カタツムリは上がろうとしなくなる。しかし棒の動きの速度を変えることによって、カタツムリの行動が異なるのが面白い。一秒に四回以上叩くことを繰り返すと、カタツムリはまた棒によじ登ろうとするのである。「カタツムリの環世界では全て一秒に四回以上振動する棒は、静止した棒になっている」からだ。「環世界」とはカタツムリが客観的な環境の中の諸物に意味を与えて構築している主観的につくりあげた世界であり、その中ではカタツムリの知覚時間は一秒に瞬間が三つ、多くて四つ、という速度で流れていると推論される。
私たちが目まぐるしく瓶の外側で朝ごはんを食べたり、パソコンのキーボードを打ったり、大統領選の討論会を観てこぶしを振ったりしていたのは、スネイルたちの目には僅かに震える光と色の塊にしか写っていないのかったのかなあと思う。
因みに、この本はGeorg Kriszat 他による奇妙な絵や図解がスゴク面白い。ベルリン1934年版は『見えない世界の絵本(Ein Bilderbuch unsichtbarer Welten)』 という相応しいサブタイトル付きで出版されている。また、生物の行動は刺激に対する物理反応だけではなく環世界があってのものだという考えは、私がサファリさんと読んだ蛸の本にも登場していた。古い本をたまに手に取ってみると面白いなあと、年末年始はいろいろなジャンルの古典を読み返して静かに過ごす計画だ。
タイムワープを繰り返す、ガラス瓶の緑の小宇宙。しかし「サジタリアがまたこんなに伸びた!」「アラザンみたいだったスネイルがこんなに大きく!」と、時間の進行をはっきり刻んでくれていたことも確か。季節感ゼロの2020年、目に見える時間の流れをこうして作り出すことによって、「楽しい」「面白い」と感じるのはもちろん、より生産的に過ごせたのではないかとも思う。ありがとう、エビちゃん、スネイル陣。
というわけで(?)私はエビと年末年始をタイムワープしてきます。皆さんもどうぞ安全で、よいお年をお迎えください。
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【ローマ回想】古代の銭湯
http://llamainai.exblog.jp/32073680/
2020-12-28T09:47:00+09:00
2020-12-28T09:47:19+09:00
2020-12-28T09:47:19+09:00
majani
旅に待ったなし
前回のマッシモ宮と目の鼻の先にある、古代ローマのディオクレティアヌス帝浴場の跡を見てきた。
こちらが入口。のこのこ入っていった時は分からなかったが、思いがけず広い敷地で、大浴場の跡・美術品・歴史資料と庭園の三つのエリアに分かれている。
美術館ウイングには、吹き抜けがある開放的なホールや、両側に古代ローマの装飾品が展示されているスカイウォーク的なルートがあり、面白かった。
これでもか!これでもか!という量の展示品で、お手洗いの出入り口にまでこのような立派そうなモンが説明もなくどかーんと置いてあったりする。政治家だろうか、ローマの重鎮という雰囲気を醸し出す人物たちが神妙にテーブルを囲う。もっといろいろ知りたいけれど、トイレの隣の無名の遺物なので真相は闇の中。
こちらは美術館が多数所持する骨つぼの一つ。(壺というより箱の形をしている。)ローマの創立神話として有名である、狼に育てられた双子ロムルスとレムスが中心に描かれている。このモチーフは骨つぼはじめ様々な美術品に登場する。
キリストを表す魚のシンボルが ichthys(左の魚の真上、古代ギリシャ語で「魚」)の文字と彫られている別の骨つぼの一部。キリスト教がすでに広まり始めていたのがうかがえる。ちなみに古代ギリシャ語で「神の子イエスキリストは救世主」という言葉の頭文字をそれぞれとると「魚」と綴るので、魚がキリストの秘密の(?)シンボルとなった訳だ。キリストが「人間を捕る漁師に」なれと説いて漁師たちをリクルートした逸話(うろ覚えなのでちょっと違うかも)から来ているのだと勘違いしていた。
さらに雑談だけれど、ichthys は現代英語の ichthyology (魚類学)に使われている。へええ言葉のルーツって面白いねパンテオン云々というまとまりのない過去の記事はこちら。
これは私でも描けそう、と思うものも。
ある湖の跡地から発掘された出土品。これは確か敵に呪いをかける儀式を行うためのランプだかティーポットだったと思う。撫でたらジーニーが飛び出てきそうな形をしている。決してメインストリームではなかったが、こういったおまじないを行うウィッチドクター的な人たちがいたそうな。おはじきみたいな物も交ざっている。
こちらの犠牲者アントニウス、何か知らんがスゴイ恨みを買ったらしい。大昔の人のことながら、アントニウスどうなっちゃったんだろう大丈夫だったかなと、ぼんやり思う。
この踊り場で学会を終えたリルケと待ち合わせをしている。リルケは汗が滲んだシャツとゲッソリした顔で現れた。
少し外の空気を吸いましょうと中庭へ出ることにした。オレンジタビーの野良猫が日陰で涼んでいる。
やっとこの博物館のセリングポイントにたどり着く。これが古代の銭湯の跡地である。銭湯というか、現代のジム施設みたいに背が高く開放的な建物だったことが分かる。
人が少ないのでスケールが伝わりにくいかもしれない。しかし真っ青なローマの空に届きそうな壁面。その規模に驚く。
マッシモ宮殿でも多く展示されているスタイルのモザイク画が登場し始める。次の部屋へ入っていくと、
・・・オーケストラ?
モザイクの男を真似するように美しいチェロが床に横たわっている。蝶ネクタイをしたミュージシャンが私たちを通り過ぎて行き、外の庭で煙草に火を点けた。今夜、ここでコンサートが開かれるようだ。
エコーチェンバーのようなこの部屋でチェロの音が流れたら身体の底から音楽を感じ取ることができるのだろうねえとリルケと話しながら、古代の大浴場を後にした。
聴いて行きたかったけれど、身体の底がこの時欲していたのはチェロの官能的な深い音色ではなく、もっぱらパスタとワインだった。
他いろいろハプニングがあったのにだいぶ端折ってしまった。ひとまずローマ回想はこれで終わり。
またぽつぽつ思い出すことがあったら、その時はその時ということで。
道草食いながらのローマ旅日記をすべて読む:
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【ローマ回想】女と男
http://llamainai.exblog.jp/31319936/
2020-08-14T12:46:00+09:00
2020-08-14T12:46:35+09:00
2020-08-14T12:46:35+09:00
majani
旅に待ったなし
リルケは山へ芝刈りにじゃなくて学会に行っているので、私は一人で美術館巡りタイムを謳歌している。アルテンプス宮が凄く良かったので、他のローマ国立博物館にも足を運ぶことにした。
今回はマッシモ宮、 Palazzo Massimo alle Terme へ。古代ローマのディオクレティアヌス帝浴場の跡にイタリア統一50周年を記念して国立博物館が開館したのが1911年。テルメは浴場のことで、浴場跡の近くだからと「テルメのマッシモ宮」という名前に。(すぐ向かい側のごった返しているテルミ二駅はすると「風呂駅」ということだ。)
マッシモ宮の中庭。毬のようなオレンジが生る木も。
グラウンドフロアと1階は彫刻や herm (伊:erma)の展示が多い。もともとヘルムとは神話上の伝令使ヘルメスをかたどった柱像のことであるが、ローマ人たちはそのスタイルの複製をよく作ったらしく、ヘルメス以外に哲学者や歴史的人物の像のこともヘルム(エルマ)と呼ぶ。
上は頭の部分しか残っていない、歴史の父とされる古代ギリシャのヘロドトスである。髭のうねうねが良いねえ、うんうん、さあ次は誰かなーと中庭の周りの外廊下を進んでいくと、
ん?
びっくりした。いきなりあるもんだから。なんだなんだ、これはどういう意味なのだ、と説明書きを読むと、
この人物は、ギリシャ哲学者、数学者のタレース(紀元前624~545年)だと考えられていたが、後にソロンと解釈されるように。近年では無名の劇詩作家だというのが通説。何故ならば、ディオニューソスに捧げる冠を劇詩コンテストの優勝者に授与することが慣例的であり、その冠の跡だと思われる額にできた深い溝がヒントにな
って、説明になってないじゃないかー!何か幸運を運ぶ(?)的な意味があるのだろうが、滑らかな柱からひょっこり出ている男性器には全く触れていなかった。
マッシモ宮の変化球にドキドキしながら再び歩き出す。
ディテールが綺麗に保存されているサルコファガスが多い。この3D感が凄い。
サルコファガスの部屋が延々と続く。
アルテンプス宮と比較するとこちらは完全な像(腕や鼻が欠けていないという意味で)が多い気がした。とにかく来る部屋来る部屋、肉体美を叫ぶ彫刻がゴロゴロしている。
古代、またルネッサンス期のローマ人はギリシャ彫刻の複製をわんさか制作した。なので同じポーズのものが何体もあったりする。上、コピーのコピーの模写をする青年。それを写す私。
思わず撫でたくなる牛乳のような肌。うっとり眠る表情が良い。反対側からも見てみようとてくてく歩いて行くと、
おおっと、またもや変化球。その名も「眠るヘルマフロディトス」。つまり女でもあり、男でもある。
オリジナルは紀元前2世紀半ばに活躍していたギリシャ彫刻家ポリクレスによる銅像で、マッシモ宮の収蔵品は1880年に発見された、古代ローマ人が複製した大理石版である。尚、1781年に発見された2世紀頃に造られたとされるコピーは、ローマのボルゲーゼ美術館で見られる。ちなみにルーブル美術館にも「眠るヘルマフロディトス」がいる。
パラッツォ・マッシモは素晴らしいフレスコ画やモザイクが結集する美術館でもある。
モザイクは1~4世紀頃のものが多い。
遠くからパノラマ的に展開されるドラマに見入ったり、ぐっと近づいてそれぞれのタイルの微妙な色合いを楽しんだり、細かい眉毛や魚のウロコ一枚一枚に感心したりした。スゴイ職人技だ。
魚、猫、鳥などがよく登場する。
こちらはビザンチンのモザイク画だったかな。モザイク三昧でメモもあまり取らずに歩いていたのであいにく覚えていないが、明らかにスタイルの違う色使いやビックリしたように大きく開いた目が印象的だった。
ローマの12キロほど北に位置するプリマポルタのリウィア邸、 Villa di Livia からマッシモ宮に移されてきたフレスコ画。(リウィアは古代ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの妻。)
地下一部屋をくるっと覆う、肥沃な春の庭。
これほど美しく、色鮮やかに残っていることに感激した。ゆっくり小鳥や小動物を見つけていくのが楽しい。
こちらは Villa Farnesina のフレスコの一部。
このエリアで、また気になるものを見つけてしまった。フレスコ画の一部に登場する鹿、の上に浮遊するもの。
日本にちょくちょくタイムスリップしてしまう古代ローマの浴場設計士を主人公とする、ヤマザキマリの驚異的なコメディー漫画『テルマエ・ロマエ』を思い出した。たしか男性器を祀る宗教だか、それをアミュレットのようにして首に下げたりする習慣に触れるエピソードがあり、そのお守りがまさしくこの形だったと思うのだが。関係あるのだろうか。これも説明ナシだった。
テルマエ・ロマエと言えば、マッシモ宮はディオクレティアヌス帝浴場の跡地の側にあると書いた。次回はその浴場の跡を辿る。
記事最後の写真がコレでもアレなので、
屋根上で食事した時の一枚を。やっと涼しくなってきた。
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【ローマ回想】アルテンプス宮
http://llamainai.exblog.jp/31311698/
2020-08-08T02:57:00+09:00
2020-08-08T02:57:41+09:00
2020-08-08T02:57:41+09:00
majani
旅に待ったなし
リルケと私は学会や研究発表で出張に出ることが多い。全てがコロナに飲み込まれる前は、相手が観光向きの場所に出向く場合、もう一人がくっついて行き、本来はつまらない出張を二人で楽しむお遊び旅行にしていた。去年のローマ旅行は私がリルケの仕事に便乗して乗り込んでいったパターン。
酷暑の中、リルケはワイシャツを着込んで出かけ、私はつっかけサンダルと涼しい麻で美術館へ向かった。
ナヴォーナ広場を通って辿り着いたのがローマ国立博物館の一つであるアルテンプス宮。
ローマでこれでもか!というほど見てきた美術館や遺跡の中でこの Palazzo Altemps が一番印象に残っている。ヴァチカン美術館のギラギラした豪華さはない。そこが良いのだ。
早朝はファッション界のイベントで貸し切りだったようでその関係者たちがまだちらほら中庭で話し込んでいるが、ほとんど人がいなかった。美術館を独り占めしている気分だった。
15世紀に Riario家によって建てられたパラッツォは、その一世紀後 Marco Sittico Altemps枢機卿により修復され「アルテンプス宮」として知られるように。1997年に国立博物館の一館としてオープンした。
古代ローマ時代の邸宅の遺跡の上に中世、そのまた上にルネッサンス期の建物、という具合に建設されてきたらしい。これが時代のラザニアのようで実に面白い。展示室によって、中世のタイルが足元に敷き詰められていたり、壁の一部にルネッサンス期のフレスコ画が残っていたりする。ずーっと昔の古代ローマの遺跡の跡も、一部公開されている。
彫刻までが頻繁にラザニア法式になっているから面白い。例えば上のアテネ像。紀元前5世紀のギリシャ彫刻をモデルとした胴体の部分は、Alessandro Algardi により17世紀に造られたものだ。しかしヘビを含む部分などはさらに昔の物で、もともとはヒュギエイア (英:Hygieia、ギリシャ、ローマ神話に登場する、ヘビがトレードマークの健康と衛生の女神で、ローマ神話では Salus のラテン名で知られる)の彫刻だったとか。
頭だけ取り換えたとか、手だけ女の物を借りてきたとか、時代もスタイルも時には性別まで違う身体の部分をパッチワークにしている彫刻は意外と多いみたいだ。
頭がもげていたり、もげていなかったりする古代の神々、文化人、政治家たちを沢山眺めてきた。16~17世紀に渡りローマの貴族階級が所蔵していた彫刻が美術館のコレクションの中心となっている。
石とクレイと大理石の涼しい空間が続く。時折、白い光が容赦なく降り注ぐ外の世界の断片が背の高い窓から見える。
館内は時間の流れが違う法則に従っているかのような感じだった。ちょいと腰掛ける椅子やベンチがあったりする。
この時期、私は新しい家探しをしていたため、インテリアデコールのヒントになるものを何となく写真に収めていた。アルテンプス宮では大理石やガラスの破片など、新しい家のインスピレーションになる装飾品と小物をたくさん見た。
クールな印象になりがちなタイルでも、上のような暖かみのある色のものは、ヌガーに琥珀、珊瑚に柿、熟れたアボカドに荒地に生えるヒースなどと、生命力あるものを連想させる。
あ、ヌガーは普通のお菓子か。というか単に食べ物の連想か。
古代ローマやエトルリアの細々としたキュリオの展示がまた面白かった。
動物型の子供の玩具だったり、陶器、人形、装飾品などを通して当時の人々の日常生活が垣間見える。上はたしかおはじきのようにして使われていたものだったかな。
耳や足を集めたコレクション。ちなみに左に写っている湯たんぽみたいな、ダンゴムシみたいなのは子宮とある。このいでたちで、どうして子宮だと分かるのだろう。私はダンゴムシ説に固執する。
それぞれ吹き出しを付け加えたくなる、表情豊かなスタチュエット。
宮殿の二階に移動する。
ここからカップリングが多い。手前は、下半身がヤギであるパーンが、羊飼いダフニス(伝令使ヘルメスの息子でもある)にハーモニカの祖先のようなパーンパイプの吹き方を教える場面。
戦に敗れたガリア人の戦士の彫刻。押し寄せてくる敵を目前に、妻を殺し、自らの命を絶つ場面。
アモレとプシュケ。(そういえば違うバージョンをニューヨークのメトロポリタン美術館で見ている。)
オレステースとエレクトラ。二人ともギリシャ神話の人物。
アガメムノン王の娘エレクトラは、エウリピデスやソポクレスなどによる(ああカタカナ多いと目がちかちかする)古代ギリシャの悲劇作品に描かれている。だいぶ端折るけれど:父のアガメムノンは、トロイ戦争からカサンドラ姫を連れてミケーネに帰還した直後、姫と共に殺されてしまう。その時アテネにいて留守だったエレクトラは、父親の墓の前で兄弟のオレステースと再会し、二人は復讐の作戦を練る
のだったと思う。うろ覚えだ。ギリシャ神話に出てくる家族関係ってとにかくフクザツ。しかし2メートルほどあるこのエレクトラ、髪の毛のくりくりの部分までが柔らかに見えて、大らかで頼りがいがある感じ。
がやがやした観光地に佇む外見が地味なパラッツォ・アルテンプス。中は静かな時が流れていた。
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猫に優しいハウスプラント
http://llamainai.exblog.jp/31302578/
2020-08-01T06:07:00+09:00
2020-08-01T06:07:10+09:00
2020-08-01T06:07:10+09:00
majani
動物王国
Cat-proofing の一環として考えたのが室内の植木のこと。遊びたがり屋の若い猫なので、何にでも飛びつく。そして観葉植物は種類によって見た目が美しくても猫にとって命とりになる可能性がある。例として、アメリカで今大変トレンディーな fiddle leaf fig がそうだ。「猫が届かない場所に置く」が基本のルールだが、万が一食べてしまったとしても安全な ― そして見ていてイイ感じの ― ハウスプラントを置きたい。また、ガーデニング歴が乏しい、ずぼらな私でも「安易に死なない」という点も重視。これ大事。
以下が私が行きついた「猫に優しいハウスプラント特集」。主に American Society for the Prevention of Cruelty to Animals (ASPCA) が運営する植物データベースを参考にした。1000種以上の草花が写真や学名付きで登録されていて、犬、猫、馬にとって安全かどうかぱっと調べられる(何故ここで馬、と思うけど、アメリカは多いのかしら)。曖昧な情報や、単に間違っている情報を載せているウェブサイトが多い中、ASPCAのデータベースは信頼性が高い。ご参考までに:
https://www.aspca.org/pet-care/animal-poison-control/toxic-and-non-toxic-plants
ぺぺロミア属
一番優秀なのが Peperomia 属の植物。バリエーション豊富で、学名にぺぺロミアが付くものは基本的に猫に安全。
こちらは二種類とも Peperomia obtusifolia 。右のぺぺロミアは縁がクリーム色のバリエーション。Obtusifolia〈太い葉〉の学名がピッタリで、ワックスがけをした多肉植物のような、厚くてぽってりした葉が特徴。因みに植木屋では American rubber plant や baby rubber plant と記されていることがあるが、Ficus属の Indian rubber plant とは関係なく、こちらは犬猫に有毒なので注意が必要。
ぺぺロミアは我が家の定番となっている。猫も今のところ全く興味を示さないので花マル。Watermelon peperomia (Peperomia argyreia)という、スイカ模様をした丸い葉の仲間も可愛い。
こちらは Peperomia ferreyrae 。Happy bean や pincushion peperomia など可愛らしいあだ名で知られる。種類豊富なぺぺロミアファミリーの中でも独特な、インゲンがにょきにょき生えているような形の葉が気に入っている。
シダ系
シダは猫に無害なものが多く、ボストンに住んでいるからこそ Boston fern を育ててみたいと思ったけれど(トレジョなどでもよく売っている万人受けするタイプ)、リルケがわしゃわしゃしている見た目があまり好きじゃないという(万人受けじゃなかった)。
そこで最近買ったのがニュージーランドに自生する button fern(学名 Pellaea rotundifolia)。Cliff brake ともいう。他のシダに比べ水いらずで、まさにボタン型の葉は革のような乾いた感触。見ていると何となくホッとする、飾らない姿が好き。
「ニュージーランドの森林」が理想的な環境、とどこかで読んだので、リビングルームで行ったこともないニュージーランドの森林の気候を頑張って再現中だ。
ハーブ系
料理に使うハーブをキッチンウィンドウで育てている。
バジル、ローズマリー、セージ、タイムは全て猫に安全。タイムは English thyme と lemon thyme を二種類増やしているが、ほぼ毎晩料理に使ってしまうのでいくらあっても足りない。(そして使う度に Scarborough Fair を口ずさんでしまう。)
バジルも挿し木が簡単なので、もうありとあらゆる容器で増やしまくっている。花が咲いてしまった場合は種を収穫し、種から育てても成功率が高い。早くペストが大量生産できるくらいの量になってほしいな。
アボカド
サラダに使ったアボカドの種が、やっとここまで成長した。アボカドは出だしがいつもぐずぐずするが、一旦芽が出ると育てやすい。ぺろんとした大きな葉がとてもハンサムな植物だと思う。
アボカドは特に有毒ではないらしいが、この新しいバッチはちょうど猫のハンター本能をくすぐるサイズなので、バスルームの一角に避難させた。スーパーで買った同じパックから来た姉妹?アボカドなのだが、右の方は悲惨な目に遭ったため遅れを取っている。二回、猫がバスルームにひゅっと入ってしまい、二回とも右の子だけ一瞬にして木端微塵にされてしまった。それでもなんとか息を吹き返した兵。
ちょっかい出されなくなる程度に成長したらリビングエリアに戻す予定。
他、NG植物
猫が来る前からいた有毒な先住プラントたちは、猫が出入り禁止のエリアへ移動。
2年前にリルケがホリデーパーティーでもらってきたアマリリスは今は木みたいに大きくなり、リビングでジャングル感を演出してくれるのを気に入っていたのだが、ASPCAのサイトで toxic to cats に該当したため、別室に引越しさせた。ポトス類も、猫が届かない棚やカウンターへ。
最後に、林檎の芽。これもサラダに使ったリンゴの種から(料理に使った切れ端ばかりじゃなくてちゃんと種や苗を買おうよとも思うけれど、つい)。いくつもの種を冷蔵庫の奥で一カ月ほど仕込んだうち、7割くらいが芽を出し、そのまた半分くらいが順調に育っている。最初にぱかっと開く子供が描いたような双葉から、追って出てくるギザギザの葉まで、全てが可愛らしいリンゴなのだが、あいにく種や葉は猫に毒。もう少し大きくなったら外のデッキに移そうと考えている。同じ要領で檸檬も育成中。
果実が生るのは・・・10年後くらいだろうか。気長にやろう。
ボストンエリアのガーデンセンター、Mahoney's。大手チェーンに比べると少し値段が張るが、植物が頗る元気なのでこちらで買うようにしている。
春あたりから、自粛生活で退屈している人が殺到して「パンデミックガーデン」用の植物を買い上げているとのことで、どこも植木鉢や初心者向けのハーブ類が品薄状態らしい。ガーデニングとパン作り、そろそろ皆飽き始めているとは思うのだけれど。
おまけ。
猫の最近のマイブームは、配達してもらった猫缶の箱に入ってきた梱包材。彼の中で玩具の流行り廃りがあるようだが、飽きが来ないのはけっきょくタダ同然のもの。ドングリ、ロープ。ワインボトルのコルク。
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静かなマンハッタン
http://llamainai.exblog.jp/31297344/
2020-07-28T05:22:00+09:00
2020-07-28T23:15:07+09:00
2020-07-28T05:22:48+09:00
majani
ナンデモアリ
ニューヨークからボストンに引越してきた2018年の夏の終わり ― 仕事が軌道に乗るまでは毎日オフィスに缶詰めだろうと予想し、通勤に便利なワンベッドルームを借りることにした。しかし私は、コンマリの逆方向まっしぐらなマキシマリスト(というと何らか審美的な信念があるようだが)、長年旅先で拾い集めてきた物が多い。ダウンサイジングに随分と悩んだ。
ニューヨークのマンションを引き継いでもらうことになった大学関係者の女性とその高校生のお嬢さんと相談し、ゲストルームのクローゼットに少し荷物を置かせてもらった。様子を見て、またニューヨークに来たついでに引き取りに来ます、と。
・・・そう約束して2年も経ってしまったのである。パンデミックでさらに延びてしまった。
今はもっと広いスペースに移っているし、秋から冬にかけてパンデミックが悪化する前に完全に引き払ってくるのが賢明だ。一時期はどうなることかと思ったニューヨークだが、現時点では、マサチューセッツとニューヨークを始め、北東部の州の間は self-quarantine なしで行き来してよいことになっている(他の州からマサチューセッツに入る場合は14日間の自主隔離が義務付けられており、また来月からはルール違反一日につき500ドルの罰金が発生する)。意を決してニューヨークの古い家へ向かった
のはいいが、何を置いてきたのかすら覚えていない。
「机があったような気がする」とリルケ。
秋学期もリモートワークが続くので、デスクがもう一台あるとありがたい。でも机のためにわざわざ乗り込んで良いのか。
ここから尾籠な話で申し訳ないのだが、私が心配なのはトイレ事情である。ニューヨークまで車で4時間、飛ばしても3時間半はかかる。私はコーヒーと紅茶をよく飲むし、トイレが近い。飛行機の席は必ず通路側。大自然でハイキングする時もどこか頭の奥でちょっぴり心配している。ビールなんか一口飲んだ時点で、ハイ、ちょっと失礼。
以前、ニューヨークから車でボストンに入って一日がかりで家探しをした時は、道草食いながら気軽にできた。しかしパンデミック中となると、東海岸は少し落ち着いたとはいえ、ガソリンスタンドに寄るだけで緊張する。現にマスク装着率が高いマサチューセッツでも、鼻の下からしかカバーできていなかったり、話す時に限ってマスクを外したりする人をよく見る。外でお手洗いを使うと、どれだけ感染のリスクを伴うのだろう。
そしてここは亜米利加!何故だかトイレ中も一緒にお手洗いに来ている友人相手、あるいは電話相手に向かって大声で話し続ける女性が多いこの国で、高速沿いの換気が悪い個室にのうのうと入っていって大丈夫なのだろうか。(排泄しながらまで会話を続けなければならない電話相手とは一体誰なんだろうといつも不思議に思う。タクシー運転手が外国語でずっとぺちゃくちゃ電話でお喋りをしていて、誰と何について一日中話しているんだろう、と思うのに似ている。)
当日の早朝、トイレトイレトイレと悶々としている私の隣で、リルケは「ベーグル食べたいなあ」なんて呑気に言っている。リルケよ、ベーグルどころじゃない。コロナとの戦い、いや、尿意との戦いが私たちを待ち受けているのだ ― !
実際、途中のコネチカット州で、きれいで人が少ないレストエリアがあったので、一度そこでお手洗いを使っただけ。「この施設はマスクをしていないとお使いになれません」と大きな看板があったのにも関わらず、「平気よ、ヘイキ」とずんずん入っていくオバちゃん達もいたが、まあヨシとしよう。
レストエリアに停まっていた車のライセンスプレートは、マサチューセッツ州だったり、ニューヨーク州だったり。フロリダやカリフォルニアナンバーまで見た。パンデミックでこちらに流れて来たコロナ難民だろうか。
ヘンリー・ハドソン・パークウェイに乗って一気にマンハッタンに入る。コロナ以前はこのようにスピードが出せなかった。車が非常に少ない。
先に見えるのはジョージ・ワシントン・ブリッジ。右側のスカイラインはお隣さんのニュージャージー州。ニュージャージーもコロナで痛い目に遭っている。
夏なので、緑がいっぱいのマンハッタン。上はリバーサイドパーク沿いの道。
しかし何よりも異様だったのが、人通りと車が少ないこと。
ブロードウェイまでしーんとしている。イエローキャブが一台もいない。窓を開けると、サイレンの音ではなく、小鳥のさえずりが聞こえてくる。真夏日なのに、ゴミのにおいがしない。平穏なニューヨーク ― 変だ。
あまりニューヨークが好きではないリルケまでが、「こんなに綺麗な街だったんだね。立派な街だなあ」と(今さら)感心している。でも、こんなのニューヨークぢゃないみたい。春はそれだけ恐ろしい事態だったのだろうと、ぞっとする。
昔のマンションの前で佇んだ。懐かしい。「シャム式」のスタンドパイプがまだあるし、街角のハラルカートも健在。でも以前は腹ペコの学生でごった返していたのに、ハラルカートのおじさんは一人でぽつんと座って、ケータイをいじっている。ミッドタウンのホットドッグやカシューナッツを売るカートなんかどうやって生き残っていくのだろうか。
今マンションに住む親子が出迎えてくれた。二人ともマスクを(正しく)着けている。私たちもマスクと手袋で、2メートル以上の距離を置いて、少しお話をした。大学生になっているお嬢さんは、コロナのせいで寮を引き払わなければなかったお友達の荷物を預かっているという。私たちのガラクタまで放置しておいて悪かった。
ボストンの L.A. Burdick という店のチョコレートを手土産に渡した。ネズミの形をしたチョコレートがトレードマークで、ティールームでは美味しいホットチョコレートが飲める。今はリオープンしているが、私が差し入れを買いに飛び込んでいった時は誰も入っていなかった。
さて、確かにゲストクローゼットの中に忘れていた机があった。解体して車に積み、他の荷物を運び終わると、私はゲッソリ。ちょうど熱波が東部に来ている。
「でもやっぱりベーグルだけ買いに行こう」とリルケが言うので、最後の元気を振り絞って、昔よく行っていた Zabar’s に寄った。トイレをあんなに心配していたくせに、Zabar’s のチーズに囲まれるとそんなことどうでも良くなっちゃう不思議(というか無責任さ)。
抜群に美味しいスモークサーモンはこのまま日本酒や白ワインのつまみにしている。うちは最近 Zabar's からコーヒー豆も取り寄せるようになった。
ベーグルはもちろん、シナモンのバブカ、ロシアンコーヒーケーキ、ブロッコリーとチーズのクニッシュ(ペーストリー生地の中にジャガイモなどの具がぎちぎちに詰まっている、ユダヤ系デリ定番の料理)、つやつやのスモークサーモンなど、色々買いこんだ。腕一杯の戦利品を車に運び、帰路に就いた。
マンハッタンで過ごしたのは、3時間ぽっちのこと。
ミッションコンプリート。退散!
半年前に子供を産んだマサチューセッツ在住の友人と最近 Zoom でお喋りしていた時、コロナでチャイルドケアが無くなってしまったため、実家ミネソタ州のご両親が、助っ人として、三日かけて車でこちらに来た、という話を聞いた。
これだけでも、ご高齢なのに大したもんだと思うのだが、話は奇想天外な方向へ。ホテルに泊まるのはコロナが怖いので、RV車を買おうかと思ったらしいが、かなりお金がかかることが判明した。そこでご両親は中古のミニバンを買い、改造に取り掛かった。バンの後ろにベッド代わりになるマットレスを敷き、水と食料品をストック。さらに、運転席と助手席のシートの部分に穴をくり抜き、 Porta Potty (工事現場や野外フェスティバルなどで見るポータブルトイレ)のトイレをはめ込み、猫砂で敷き詰めたというのだ。ご両親は、三日間、このミニバンで過ごしたという。
いつだったか、恋に狂った宇宙飛行士が、元夫の新しいガールフレンドをやっつける(?)ため、オムツを着けて車でアメリカ横断したという、珍妙なニュースがなかったか。
とにかく猫砂にもオムツにも頼らなくて済んで、めでたしめでたし。
猫砂と言えば。
初めて一日留守番をしていた猫。帰ってきたら植木が散乱しているかなあと思ったけれど、行儀よくずっと昼寝をしていた様子だ。寝起き顔で私たちを迎え入れてくれた。
しかしやはり寂しく思ったのだろう。翌日は私が一瞬でも部屋を出ると、長い鳴き声を出しながら、とっとっとっと足音を立てて追いかけてきたりした。3月からリモートワークが続いているので、毎日人間がいる家しか知らない猫。キャンパスで仕事復帰になったら、どうしたものか。
最近、1歳になりました。
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パレードとパンケーキ
http://llamainai.exblog.jp/31289077/
2020-07-22T00:38:00+09:00
2020-07-22T00:38:17+09:00
2020-07-22T00:38:17+09:00
majani
旅に待ったなし
ショッピングをしていた店の店員に教わり、毎年6月に行われる King Kamehameha Celebration Floral Parade を見に行った。
ハワイ諸島を初めて統一したカメハメハ一世を祝うパレードは、ʻIolani Palace から4マイルちょっと行った Kapiʻolani Park まで行進する。
カ・メハメハは、ハワイ語で「孤独な人」という意味らしい。
そろそろ通るかな?と、セフォーラとかヴィクトリア・シークレットがある大通り沿いの芝生のエリアに腰を下ろした。すると、セフォーラの前をありとあらゆる人物が通り過ぎていく。
シュールだ。
ホラ貝を持った戦士を始め、次々と押し寄せてくるパレード参加者たち。カブリオレのルーフを開けて座っている着飾った女性だったり、トローリーに乗ったシンガーたちたっだり。地元の高校生のブラスバンドや、トラック一杯に乗ったフラダンサー。
しかし、ハイライトはやはり、ハワイの各島を代表する「プリンセス」たちだ。
それぞれが違う色やモチーフの衣装を着ていて、お揃いの飾りを付けた馬に乗って行進してくる。美しい笑顔の人たちばかりだった。
馬に乗ったお姫様たちの行進がしばらく続く。
この花のリースをしたお行儀良い馬たちだが、歩いていて急に糞をする時がある。すると、グループを追っていた「お粗相チーム」がすかさず、花で飾られたホイール付きのポリバケツをがらがら引いて駆けつけ、ほうきと塵取りでさっ!と片付け、パレードは何事もなかったかのように続く。
盛沢山で華やかなパレードだった。
コーヒー、パイナップル、ワイメアヴァリーと続いた植物園巡りで少し疲れていたため、真珠湾に行く元気はなかったが、近場の U.S. Army Museum をのぞいてきた。物々しいコンクリートの建物で、題材からしても愉快だったとは決して言えないけれど、戦時中のポスターやプロパガンダの資料が興味深かった。
例えば、この Oozlefinch 。"He is so bashful that when he sees someone -- he swallows himself!" って。沿岸防衛砲兵隊のマスコットにしては随分お茶目な奴である。
夕方はおよそのホテルの中庭で涼んだり、ショッピングしたり、ビーチに寝そべったりしてぐーたら過ごした。
すると、もう発つ日になっている。最終日の朝ごはんは絶対ハズせない。老舗のホテル、モアナ・サーフライダー内のレストランで、ブランチを食べることにした。
アルフレスコの席で海のそよ風を感じながら、バナナとマカダミアナッツのパンケーキをばくばく。
リルケはマンゴーだかパパイヤのパンケーキだったかな。これに濃厚なバターを乗せて、メープルシロップを上から滝のようにどばどば。心臓麻痺寸前間違いなしの、大変豪華なパンケーキだった。
ボストンに帰りたくない、と最後の最後までブツブツ言っていた私たち。
夢見心地のハワイ旅行、実は2020年の春も計画していたのだが、コロナ騒動でキャンセルすることに。いつになったら、またあのモヤモヤした曇り空の下、真っすぐな道路を走れるのだろうか。
ハワイの旅、終わり。
・・・っとここで、イタリアにやっと繋がった!(一年がかりで!)ハワイの次は、ローマに向かったのだった。今思えば、遊び呆けていたものだ。
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ワイメア植物園
http://llamainai.exblog.jp/31273559/
2020-07-17T03:21:00+09:00
2020-07-17T03:21:56+09:00
2020-07-17T03:21:56+09:00
majani
旅に待ったなし
ドールのパイナップル園で見た花やバナナやパパイヤでは気が済まない!というわけで、同じノースショアの Waimea Arboretum and Botanical Garden を訪れた。
隅々までマニキュアされたドールのパイナップル園とは一味違う、野趣に富んだボタニカルガーデンだ。
天空の城ラピュタに出てきそうな巨樹がそびえ、サルオガセモドキが銀色のカーテンを作り、今までに見たことのない大きさのモンステラの団扇形の葉が茂る。
綺麗に舗装されたメインのトレールがあるが、一番楽しいのは「森」にうねうね入ってゆく人少ない小道。「スリランカの草花」、「小笠原諸島の植物」というエリアまであった。
蒸し暑くてしょうがない。木陰に逃げ込みながら、いくつもの脇道に入った。ハワイのネイティブの人々の古代社会にスポットライトを当てる、小屋や石碑のレプリカなどがひんやりした森の中に隠れている。
大きな木の下のベンチで一休み。
この黄色い花は何でしょうと佇んでいると、コウカンチョウ(red-crested cardinal)という、本来は南米の朱色の頭をした小鳥が私たちの後を追ってきた。ハワイにも住み着いたらしい。
ずっと緩い上り坂だった。最後に辿り着いたのは滝つぼ。水に飛び込む人も。
しかし一番エキサイティングだったのは滝ではない。もうすぐ閉園ということで、入口の方まで早足で戻ってくると、恐竜の脚をした素っ頓狂な鳥が、べっこん、ぼっこん、と歩いていた。
オアフ島に着いてからずっと一目見てみたいと思っていた、Hawaiian moorhen (別称 Hawaiian gallinule、学名は Gallinula chloropus sandvicensis)という鳥だ。ハワイアンでは「焼けた額」という意味の ‘Alae ‘ula という。(ボディが似ているけれど、くちばしが白く、多少ずんぐりした ‘Alae ke‘o ke‘o という仲間もいる。)
その真っ赤に「焼けた」くちばしと額、卵の黄身の色をした大きな足、つやつやの黒いボディで、独特な雰囲気を放つアラエ・ウラだが、食べるものは、タニシ、昆虫、水生植物と、けっこう平凡である。恥ずかしがり屋とされている鳥なので、見られてラッキーだったのかもしれない。絶滅危惧種に指定されている。
出口付近で、鶏にも遭遇。最後の最後まで喜ばせてくれた、ワイメア植物園。
黄昏時、近くの海岸へ。
干潮になってできた潮溜りで、ヤドカリや小さなカニにちょっかいを出した。
海に出ると、何をしていたわけでもないのに、必ずお腹が空く不思議。フードトラックでフィッシュタコスを食べることに。ここはサーファーの兄ちゃん姉ちゃんが多かった。
ライス・アンド・ビーンズまで付いてきて大変満足。食べている最中、やはりここでも鶏が足元を歩き回っている。野良猫がいないのだろう。幸せな鶏たちだ。
夕方の海も綺麗。
ワイキキまでの帰り道は、モヤモヤした天気になったが、その薄暗い雲をバックに朧気な虹を何度か見た。
このモヤモヤした感じのノースショアの道路、私は大好きになった。まさしくルーベンスの光ではありませんか。
そして、これは・・・!パイナップル畑!これこそ、前回私が求めていた「見渡す限り、パイナップル」の田舎の風景だ。赤い土に黄金色のパイナップル畑が地平線まで続いていた。リルケに、もう少しゆっくり運転してと頼んだ。
ワイキキに戻ってくると、何故か盆踊りを踊る人たちの姿が。毎年三日間かけて行われる Pan Pacific Festival にばったり居合わせた。「へぇ~い、レッツ・ダンス・ボンオド~リ~!皆さんもジョイ二~ン!」みたいな不思議な司会だった。(以前、ジョインアス!と誘われた珍事件は、こちらを参照。)
はるばる日本から来ているフラダンサーたちも。暗闇の中で色鮮やかなパウを揺らしていた。
ハワイの旅、のんびり続く。
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コーヒー畑とパイナップル列車
http://llamainai.exblog.jp/31269785/
2020-07-14T03:10:00+09:00
2020-07-14T03:10:54+09:00
2020-07-14T03:10:54+09:00
majani
旅に待ったなし
今日は、畑の話を二本。というのも、母が、昔ハワイを訪れたときに、父親(私の祖父)が運転する幅が広いアメリカ車に乗ってパイナップル畑を訪れたという話をしていた。ドライブしていると急に田舎の風景になり、見渡す限り大きなパイナップルが生っていたと、母は幻想的な光景を説明する。私も、見てみたい。
今回は母の朧げな思い出ルートを辿り、パイナップル畑が登場する。
ホテルの近くのカフェでぱっと朝食を取る。アサイベリーとなんちゃらのグラノラに、豪快に砕かれたピスタチオが鎮座するアボカドトースト。私は、果物を普段あまり食べないので、なんだか新鮮な味と食感。
(バナナは買ってくるのだが、あることを忘れてしまい、真っ黒になったどろどろバナナを使ってバナナブレッドを焼き、翌日バナナがなくちゃったから新しいバナナを買ってきて・・・という恐ろしいバナナブレッド輪廻を繰り返している。)
そうえいばハワイはコーヒー栽培も有名だ。パイナップルを見に行く前に Green World Coffee Farm というコーヒー畑に寄ることにした。
コーヒーの木が並ぶ農園の中を少し歩いた。ナンデモアリフォルニア時代はよくブドウ畑を見ていたなあと懐かしい気分になる。
ひと気がない静かな農園を歩き回っていると、足元でかさかさっと小さな音がした。おや、君か!結婚式場のランチでも野生の鶏を見た。可愛い。
コーヒーの実がずっしり生っている木もある。まだまだ緑のが多い。
収穫されるのは実が成熟して赤く染まった時のことで、外皮が剝かれた姿は、ぱっと見、ピーナッツのような感じだ。焙煎して初めてあの馴染み深い「コーヒー色」になる。
このコーヒー農園は店があり、ごちゃごちゃした楽しい店内ではコーヒー豆や雑貨を売っている他、カフェで淹れたてのコーヒーが味わえる。また、様々な豆で淹れたコーヒーの試飲ができ、酸味があるなあ、ないなあ、ナッツのアローマが強めだなあ、と色々な風味が楽しめて、自分の好みに具体性が出てくる。
外のテラスで、コーヒーを飲みながら休憩(まだ何もしてないけど)。
ここにも鶏。ウィンクされた。脚がブルーで洒落てるね。
さて、試飲して一番気に入ったコーヒー豆を少し買い、近くのパイナップル畑へ。
オアフ島のノースショアにある、ドール社のパイナップル農園にやってきた。
こちらが、入場してすぐあるパイナップルガーデン。パイナップルやバナナで知られる大手ドール社だと知っているからか、コーポレートな感じがディズニーランドみたいな雰囲気を醸し出している。母が話していたのどかな光景とはかけ離れている。母が訪れたのはここではなかったのかなと、半信半疑で突き進む。
パイナップルの正しい選び方を初めて知った。先ず固く引き締まっているのを第一基準とし、果実の目が上から下まで一定のサイズで整っているのが良いらしい。上部の目が比較的に小さいと未熟な果物の可能性が高い。パイナップルは(私の呪われたバナナと異なり)、収穫されるとその時点で熟成がストップしてしまう。
迷路のような美しい植物園の中を歩いた。
ハワイを象徴するハイビスカスはもちろん、ハワイに棲息する少し珍しい植物や、星形にぺろんと開く大きな葉の中心にできている「池」の中にデリケートな花を咲かせるブロミリア(Bromeliad)など、派手な花あり、地味な花あり、バランスの取れた素敵な植物園だった。
パパイヤの木にしがみつくのは、黄緑のトカゲちゃん。
Hala pandanus の木。今にも歩き出しそう。
赤い土のパイナップル畑を遠目に眺めていると、汽車の音が聞こえてきた。「パイナップル列車」がやってきたのだ。
柵の向こう側の細い鉄道。ひなびた感じの列車がやってくるのかなと期待していたら、パイナップルが描いてあるずいぶんと可愛らしい玩具みたいなパイナップルトレインだった。
意外だった。かっわいいー。
パイナップル畑や植物園の一部を見て回るパイナップルトレイン。私たちも乗ろうかなと思ったのだけれど、待ち時間が一時間以上あり、この灼熱の太陽に耐えられる自信がなかったので、好き勝手にできる徒歩のルートを選択した。
微笑む私たちの前をのろのろ走っていったトレインには、ちょっぴり恥ずかしそうに、しかし楽しそうにしている大人が、大勢詰まっていた。
暑かった!新鮮でうまい具合に熟したパイナップルを、舌がザラザラになるまで食べた。
せっかくノースショアに来ているので、海岸に違い場所で見つけたフードトラックで遅いランチを。ここら辺は海老が美味しいと聞いた。
この海老と香ばしいライスのランチプレートが凄く美味しかった。ここでも鶏が偉そうに、こっこっと走り回っている。
ドールで食べきれなかったパイナップルの残りを頬張りながら、ぼんやり思った。けっきょく母は、ハワイのどこで、どのパイナップル畑を見たのだろう。昔はただただ、そういう畑が広がっていたのかもしれない。
ハワイの旅、のんびり続く。
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何の変哲もない一日
http://llamainai.exblog.jp/31258358/
2020-07-05T12:30:00+09:00
2020-07-05T12:30:28+09:00
2020-07-05T12:30:28+09:00
majani
ナンデモアリ
ついに独立記念日になってしまった。2020年の3分の1をほとんど自宅で過ごしたことが信じ難い。コロナは時間の感覚をぐにゃりと捻じ曲げる。この春は、授業を突如オンラインに切り替えたり、研究の一部が中断されたり、仕事の面でストレスが多かった。さらにカオスとしか形容できない政治環境、大変動に次ぐ大変動。明日私たちはどのような世界で目覚めるのだろうと、切実に危惧する日もあった。そういえば1月にはイランと戦争の瀬戸際まで来ていた・・・なんて、今となれば懐かしくさえ感じる。
私は、1月に、今年は「物事に動じず、力強く粘って」いきたいと呑気に書いていたけれど、物事に動じまくりである。
猫はそうでもない。
さて、米国独立記念日といえば、派手な花火である。去年は国外に出ていて、一昨年はサンフランシスコで霧のカールが不在の空を見上げていた。ボストンで夏の間まとまった時間を過ごすのは今年が初めてだ。
あれ、ちょっと気持ちが早いのでは?と思った、ここ数週間、毎晩のようにボンボン上がっている花火。気が付いたのがジョージフロイドの事件直後だったのでBLM 関係なのかなとも思ったが、そうでもないらしい。ボストンで警察に寄せられた花火に関する苦情は例年に比べ5千パーセント(!)以上も増えていると NBC Boston が伝えている(マサチューセッツ州では個人による花火の売買、所持、使用共に違法)。単位を見間違えたかと思う伸び率である。実際、我が家の通りでも、巨大なシェヴィのピックアップトラップで乗り付けた若人たちが、パトカーがいないのを見計らって、道路の真ん中にささっと走り出して花火を点火している姿をよく見る。それも線香花火みたいな風流なものではなく、「何、ダイナマイト?!」みたいなスンゴイやつなのである。すると近所の犬たちが一斉にうぉんうぉん騒ぎ始め、パトカーのサイレンが練習不足のコーラスのように鳴り響き(捕まらないんだなあ、これが)、騒音の波及効果に頭が痛くなる。
外出自粛がずっと続いていてエンターテインメントに飢えている若者が、花火をドカンドカンやって鬱憤(?)を晴らしているのだろうか。それにしても違法の花火に手を出すほどのことだろうか。公園で散歩するとかどうだ、散歩。
ころころ話が変わるが、
先日、イザベラとフェルディナンドが家にやってきた。以前、感謝祭にスペイン料理を振る舞ってくれたり、ヨットに乗せてくれたりしている友人カップルだ。リルケと私は去年の秋に新居に移って以来、友人や同僚を招きたいと思っていながら、ダラダラしているうちにコロナ騒動になってしまったのだった。そこで最近イザベラに「ボストンもついにオープンエアのバーが解禁になったから、飲みにいこう」と誘われた。「うーむ、それはまだ挑戦したくない」と思い、我が家のルーフデッキで飲もうではないかとカウンターオファーをした。
リルケ以外の人とこうして食事するのは3月上旬ぶり。ソーシャル・ディスタンスを心掛け、尚且つ「普段通り」に楽しく時間が共有できるパーティープラニングに腐心した。家中を消毒し、マスク装着、ポンプ付きの消毒液をありとあらゆる場所に設置。Trillium からのビールやカクテル用の材料を揃え(我が家では最近ジンが流行している)、食べ物はとにかくシンプルに、分けやすいものだけ。ちょっと見栄えするバーベキューポークとグリルパイナップルなどを出した。
2年前の感謝祭、フェルディナンドは、百ウン年だか何世代も渡って受け継がれてきたという大変ありがたいイーストを使って焼いたパンをご馳走してくれたのだった。そのとき私が大いに感激していたことを覚えていてくれたらしく、今回は手作りのサワードーブレッドをホステスギフトとして持ってきてくれた。これがまた美味しくて美味しくて唸ってしまう力作なのだ。ありがとう、フェルディナンド。他にスペインのルビー色をしたハモンのおすそ分けを頂いた。
その後は数日間、家から一歩も出ず、残りのハモンを貪りながら「コロナになったかなあ、私たち」と体調に気を付けていた。まあ、大丈夫だったのだろう。とても楽しい夜だったけれど、やはりワクチンが普及するまでは基本的にロシアンルーレットだよなあとも思った。
今夜もまだダイナマイトな花火がずっと聞こえている。とりあえず、ハッピーバースデー、アメリカ。今日は、猫の餌を買いに出ただけの、何の変哲もない一日だった。
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ウェディングにニワトリ
http://llamainai.exblog.jp/31252480/
2020-07-01T05:04:00+09:00
2020-07-01T09:57:49+09:00
2020-07-01T05:04:51+09:00
majani
旅に待ったなし
リルケと私は、友人の結婚式に参列するためにオアフ島に来ている。ウェディングの当日、それぞれカリフォルニアとニューヨークから入った他の友人たちと合流し、レンタカーで結婚式場へ。
観光客だらけのワイキキから抜け出すと、なんだなんだ、ジュラシックパークのような風景になってきた。そう、我々は実際に1作目の映画が撮影された島の東側の Kaneohe Bay にある、Kualoa Ranch に向かっている。周りの少しピンクがかった深い緑は、アンリ・ルソーが描いたジャングルの緑。
Kualoa Ranch の披露宴会場に到着。ヤシやシダの葉を使った白と緑のデコレーションがすごく素敵。
敷地を歩いていると、雨の後の草と、花の香がする。そしてなんといってもこの子たち。
ニワトリだ。こっこっ、こっ、と静かに呟きながら、のしのし歩きまわっている。
最初はランチで飼っているのかなと思っていたが、どうやら野生のニワトリらしい。
庭で lawn games をしている参列者。ここにもニワトリ乱入。この姿と鷹揚とした態度が楽しくて、激しくニワトリを飼いたくなった。
「どこで飼うんですか」とリルケ。ふむ、グッドポイントだ。(うちは都心のタウンハウス)
式が行われる水辺まで、緑のカーテンを潜り抜けるようにして下りていく。
アロハシャツのおじさん神父が良かった。去年の出来事なので細かいことは忘れてしまったが、良いパートナーシップとは良いコミュニケーション、というようなことを長らく話していた。
「イイこと言うなあ」とじーんときていたら、神父は、いきなりホラ貝をどこからともなく取り出し、ぼえ~!と大音量で吹き始めた。戦が始まるのかと思ったら、始まりませんでした。始まったのは良きパートナーシップです。
さあ、お祝いだ!飲むぞ!シャンパンやワインの他、地元ハワイのビールや、新鮮な果物を使ったビタミンカラーの奇麗なカクテルが振る舞われる。
しつこいですが、ここはハワイ。どこかリラックスした服装の人が多く、堅苦しい行事もなく、仲良しな大家族でワイワイ集まったような雰囲気がとても楽しかった。
ラトビアのウェディングで、夜中に極寒の森の中で謎の民族踊りを踊らされたのを思い出すと、クアロアランチのまったりした結婚式は私たちのペースに合っていた。
さて、日中のウェディングだったので、披露宴が終わったあとはニューヨークから入った友人たちと海岸沿いを回ることにした。
ウェディングで着ていた格好のままだけれど、サンダルを脱いで、水の中で足をちゃぷちゃぷしてヤドカリを驚かせたりした。ビーチサイドの真っ白なパラソルの下で、なんていう名前だったか、甘くて真っ赤なカクテルを啜った。
一旦友人たちと別れ、リルケの提案によりホヌを見に行くことになった。Honuとは、ハワイアンでウミガメのことで、幸運を運ぶ海の神様とされている。
島の東側から北に向けて、ホヌが頻繁に出没するというビーチまで車を走らせた。ホヌを探して、人が海に入ってうろうろしている。
すると、いきなり居た。一瞬、岩かと思うほど奥ゆかしい生き物。ウミガメのこのどこか寂し気な表情が私は好きだ。
野生のホヌは特別保護動物なので、法律によって触ったりむやみに近づいたりすることが禁じられている。ホヌが現れたならば、6フィート(約2メートル)の距離を置かなければならない。(今思えばソーシャル・ディスタンシングの距離である。)
なので、ズームアウトすると、実際は2メートル間隔でホヌの周りに人間の円ができている奇妙な光景だ。周りにロープが張られたりしているホヌもいる。私がカメだったら、これでもちょっと嫌だと思うけれど、大丈夫なのだろうか。
と、ここまで書いておきながら、私たちは、ウェディングの格好のままホヌの2メートル先に座り込み、この金髪の子供に見守られながら記念撮影を行った。とてもヘンテコな写真に仕上がった。
島の北側のノースショアを車で走っている。
この雨が降るような降らないような、モヤモヤした天気がハワイらしくて良い。そして、2011年の映画『The Descendants』を思い出してしまう。アロハシャツを着たジョージ・クルーニーが道路の先からぱたぱた走ってきそう。
ハワイの旅、続く。
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サイとロコモコ
http://llamainai.exblog.jp/31233273/
2020-06-17T04:17:00+09:00
2020-06-17T04:17:50+09:00
2020-06-17T04:17:50+09:00
majani
旅に待ったなし
アローハー。
ワシントンDCの出張から戻ってきて間もなく、再びローガン空港へ向かっていた私。一旦ボストンでリルケと合流し、友人の結婚式のためハワイへ飛ぶことになっていた。
夫婦ともども出張の直後だったため、ヨボヨボになってかぐわしいホノルルに降り立った。ボストンからハワイの直行便は国内線で一番長いそうだ。
ホテルの列の奥にそびえるのは有名なダイアモンドヘッド。なんだかボンド映画の悪者が秘密基地を造っていそう。
オアフ島を訪れるのは初めて(以前、一瞬だけマウイに行ったことがある)。
しかし空港に着くなり、日本のパラレルワールドみたいで魂消た。街中を走っているトロリーの行先が日本語表記だったり、日本のコンビニがあったり。でも、ドールパイナップルをやけに推していて、ちょっぴり変。
そしてアロハスタイルのペアルックで闊歩するアベック(古)は一見アメリカ人観光客かと思いきや、口から出てくるのは日本語。ここは・・・本当にまだ米国?
ワイキキの一番賑やかなエリアから離れ、ホノルル動物園の向かい側でビーチの外れの方にある Queen Kapiolani Hotel に泊っている。
部屋からは静かなビーチが眺められ、ロビーではアルフレスコの開放的なカフェで花の香がするそよ風にあたりながら割と美味しいエスプレッソが飲める。とても快適な宿だった。
そしていきなり、動物園へゴー。すぐそこだったので。
大きなリクガメがのそのそ歩きまわる芝生を掃除する動物園のオジサン。
暑いからか、動物が全く見当たらず、現地の植物とカメを見に行ったような感じだった。それでも満足です。
一匹だけミーアキャットが日傘の下で見張り番をしていた。
唯一出歩いていたのは放し飼いになっている雄の孔雀と、サイのペアだった。シンガポールのナイトサファリでは暗闇の中でサイの鼻息だけ聞こえたけれど、こちらでは食事をしたりボールを蹴ったりする活発で可愛らしいとまで言える姿を間近で見ることができた。(サイの後ろの「サグラダファミリア」に注目。)
ハワイにしかいないアヒル(ちょっと名前が出てこない)をずっと見ていたい気がしたけれど、お腹が空いてきたので:
動物園を後にし、ロコモコと新鮮なジュースで腹ごしらえ。目玉焼きにナイフを差し込むと、半熟の黄身が下のハンバーグを黄金のマントのように覆った。塩気があって美味しい。
夜は、ブルーノート・ハワイがある Outrigger Waikiki Beach Resort で海鮮料理を食べた。日が暮れ始めるとティキに火が灯され、ひゅーんと細長いヤシの木を見ていると、なんだかボストンの生活が嘘みたいに思えた。ビーチはまだまだ賑わっている様子。
ハワイの旅、続く。
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意識の太陽
http://llamainai.exblog.jp/31222077/
2020-06-09T10:28:00+09:00
2020-06-09T10:28:45+09:00
2020-06-09T10:28:45+09:00
majani
言葉と物
先日、研究の手伝いをしてもらっている学部生と普段のスカイプミーティングをした時、彼女が今フランツ・ファノンの Peau noire, masques blancs (『黒い皮膚、白い仮面』)を読んでいると知った。研究そっちのけで、クレオール文学など「ブラックネス」について書いている革命家や作家の話題で盛り上がった。
私が反植民地文学の古典であるファノンの『黒い皮膚、白い仮面』や Les damnés de la terre (『地に呪われたる者』)を読んだのも、彼女の年齢くらいの時だった。私はそれまで人種差別という問題について深く考えたことが無かった。ファノンを読み、コンセントにプラグが差し込まれたかのように、人種の違いと統治に関する「意識」が初めて、ジジジジとやかましく音を立てながら「オンライン」になったような感覚だった。
もちろん、本を読むことによって人種差別に終止符を打つことはできない。けれども、読書によって、人種差別に立ち向かうために必要となる知的資源、理解、そして何よりもエンパシーを深めることはできる。そのような思いを込めて、ボストンやケンブリッジの本屋が、今こそ読むべき「アンチ・レイシスト」の良書をSNSで薦めている。全国的にレイシズムに関する本の売り上げが急速に伸びているほか、「本棚を非植民地化せよ」なんてフレーズをインターネット上で目にするようになった。
革命のムードが漂うアメリカ。最近の一連の抗議運動は、15日前に黒人男性のジョージ・フロイドが警察官に殺された事件が引き金としてあるが、エジプトで果物売りのモハメド・ブアジジの焼身自殺がいわゆる「アラブの春」のキッカケとなったのと同様、物事はこの一件に限られず、長年の不公平に根差していることは言うまでもない。意識を高める、という言い回しは何だか漠然とし過ぎていて物足りないかもしれない。しかし、非道な制度的人種差別がいかにアメリカ社会に浸透しているのか、その現状を抗議活動や読書を通して「意識の太陽」に曝すことにより ― 1956年のエドゥアール・グリッサンの言葉をここで借りるのが変にふさわしく感じる ― 、根本的な制度改革へ繋がれば、と願う。抗議活動の勢い、人々の憤りが、11月の選挙まで持つかどうかも大事な点だ。
ファノンについて話していた生徒は、アフリカンアメリカンの若い女性だ。抗議活動は、彼女の目にどう映るのだろうか。彼女の幼い姉弟はどう思っているのだろうか。彼女の母親、祖母はどう受けて止めているのだろうか。私は、大学で書類上 woman of color とされているものの(米国で生まれ育っていないので違和感がある)、この生徒や彼女の家族やアフリカンアメリカンの友人たちが感じていること、体験してきたことは、決して知り得ない。だが、耳を傾けることはできる。支持することができる。教育者という立場を活用し、理にかなった議論の場を提供することができる。どのような形でベストに応援できるのか、学生たちから学び続け、この先も真剣に考えていきたいと思う。
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都へ行く
http://llamainai.exblog.jp/31208881/
2020-05-31T07:01:00+09:00
2020-05-31T07:01:18+09:00
2020-05-31T07:01:18+09:00
majani
旅に待ったなし
ランダムにウン年前の同時期に撮った写真が通知として現れるフィーチャーらしい。それは大概、出張先のヘンテコなホテルの部屋だったり、友人と出かけてご飯を食べたりしている写真だ。どちらも今は阻まれていること、激しく懐かしい。ヘンテコなホテルでもいいから、また旅に出たい。
先日、グーグルフォトからまた通知があり、それはすっかり忘れていたワシントンDCの蒸し暑い初夏の風景だった。
長年米国に住んでいるけれど、ワシントンDCは去年に出張で行ったのが初めて。リンカーンの像も、アヒル口の大迷惑なヒトが居座っている白いお家も見に行かなかったけれど、オフタイムに少しだけ観光ぽいことができたので振り返る。
サンフランシスコやシンガポールの植物園が凄く良かったのを思い出して、まずはこの街の植物園に行ってみることにした。
肩にじっとり纏わりつくブレザーを剥いで足を踏み入れると、そこは涼しい森林だった。
サボテンが充実している植物園だと感じた。上は絶滅危惧植物と認定されているブラジルの Parodia warasii。タフタで出来ているようなカナリア色の花を天辺に咲かせているのもあった。
こちらはさらに絶滅寸前!と怖いことが書いてあった、マダガスカルの Euphorbia geroldii。ぱっと見地味だけれど、ボタンみたいに丸くて小振りな花が可愛らしい。
アトリウムの中を歩いていてふと足元を見ると、蘭にアカンベェをされた。
こちらはなんていったかな。ぽってりしたランプのような花が沢山垂れ下がっていて、とても奇麗。
次は、National Museum of African Art へ。国立アフリカ美術館は、他 National Air and Space Museum や自然史博物館など多数の博物館・美術館・研究施設を含む Smithsonian Institution の一部。
カンカン照りで人が出歩いていないのか、マイナーな美術館なのか知らないが、ガラーンとした美術館はとても空いていた。高そうなカメラを首から下げたスタイリッシュな若人二人組とひなびた感じのおじいさんしかいない。
芸術品にぐっと近づき、人を気にせずゆっくり見られて嬉しい。
20世紀半ば、コートジボワールの Lagoons 地域のペンダント。失ろう法("lost wax" method、原型にろうを使う鋳造方法)で加工されたこのタイプのペンダントは帽子に縫い込んだりするらしい。サソリが帽子に乗っていたら可愛い。
Solomon Belachew. Battle of Adwa (1970).
20世紀半ば、ナイジェリアの Ibibio族の木製の人形。
17~19世紀、ガーナ、コートジボワールの重し。巻貝や魚の形をしている。
19世紀後半~20世紀前半、コートジボワール、Dan族のスツール。説明文の受け売りだが、女の下半身を椅子の脚としているのは、ダン族の女性たちの家庭やコミュニティにおける役割を敬うデザイン、とある。さらに「この椅子に座る者は、女性の支持を得ていなければならない」。
面白い!不思議!奇麗!と大興奮で静かな美術館を回った。
表情豊かなお面に、ヨルバ族の木彫りの「占いボウル」(上)。植民地時代以前の装飾品(皮肉にも強大な植民地帝国に略奪されたものがこうして欧米に残っている)、ヨーロッパ本国の消費者向けに造らせた彫り物。惨い戦場を描いたものから、海から魚を引きずり出す漁師の日常を切り取ったワンシーンまで、様々なスタイルの近代絵画も良かった。
最後に、あれ、このポーズは、と思わず立ち止まった一点。イエスキリストの彫り物だ。17世紀コンゴ(現在はコンゴ民主共和国にあたる地域)のもの。
美術館を後にし(一瞬だけ仕事に戻り)、夜はDCに住む大学院時代の友人と落ち合った。
Barcelonaというレストランでタパスを摘んだ(蛸が美味しかった)。彼のDCに関する愚痴を聞いていると、案外とあまり住みやすくない街なのかなと思った。
ほろ酔い気分、二人でアイス屋に向かう。ヤギのチーズとチェリーというアイスを一玉食べた。私は普段アイスがあまり好きではないが、この日は本当に蒸し暑くて、このフレーバーがまた濃厚で、叫んぢゃうくらい美味しく感じた。
ホテルに戻ってきてフィットビットを確認すると2万歩以上も歩いていた。ヒールでぽこぽこ8マイルも歩いた足は大変な靴ずれになっている。
今度はちゃんとした靴を持ってきて、自然史博物館に行ってみよう。去年の今頃、私はそんなことを考えていた。
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