カテゴリ:言葉と物( 17 )

MoMAとホステスギフト

週末はフィラデルフィアに住む友人たちがニューヨークを訪問。マンハッタンの家に泊めていた。

たったの一晩のことだったが、友人たちは素敵な「ホステスギフト」(受け入れ役の hostess のためのお土産)を持ってきてくれた。近代美術館 MoMAのデザインストアの小物です。

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ニューヨークベースのフランス人アーティスト、Patrick Martinez の1995年の作品。その名も La maison inondée 。英語で flooded houseとでも訳しましょうか。赤い屋根の小さな家が緑の丘の上にちょこんと立っていて、その周りが窪んでいる、ずっしりと重いお皿。

実を言うとあまりアペタイジングな緑ではないので、何を入れたら良いか迷っている。入ってきた箱には「子供用のボウル」あるいは胡桃など「ナッツを入れておくのに最適」とあるが、ストーリー的には液状のものを入れたい。お皿に水を張り、植木のカッティングなどを入れて置いたら、と母からナイス提案がありましたが、皆さんはどう思われますか?アイディア募集中。

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二点目は、紺の服を着た白猫のプロフィールのスポンジ。私が最近「猫~猫~」と寝言を言う程深刻化している「猫欲しい病」対策とのこと。可愛すぎて、とてもこれでゴシゴシ掃除することができません。

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最後の写真は、去年、両親が遊びに来てくれた時にもらった木製コースターのホステスギフト。こちらもMoMAのデザインストアより。エレキトリックブルーとオレンジに近いピンクのポップな色調は意外と、他にリビングルームにある暖かみある木目調の物と合性が良く、コーヒーテーブルで毎日大活躍。

最近のインテリアはシンプルでモノクロームの風潮が強いですが、単調になりすぎないように、こうした遊び心のある小物を通して一瞬あっと思う色使いを取り入れることが、何となく好きなのです。人生にしても、メリハリって大切。なんてね。

因みにMoMAでは今、昔から気に入っているアメリカの写真家 Stephen Shore の写真展や、とても面白そうなブラジルの近代美術展などが行われている。気が付けばニューヨークの滞在期間もあと僅か何カ月。今のうちに沢山の美術館やギャラリーを見ておきたい。




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by majani | 2018-03-22 04:06 | 言葉と物 | Trackback | Comments(10)

未来は女だ

土曜日、女友達3人と一緒にニューヨークの Women's March に参加した。今回は珍しくシリアスな話ですよ。

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乱雑無章のトランプ政権も、いよいよ二年目に突入。去年1月のトランプ氏の就任に伴い、米国各地を始めロンドンやパリなど海外の都市でも同時に行われたウィメンズ・マーチが、今年も決行された。

去年は人種、階級、年齢の壁を越え大勢の女性(男性も)がワシントンDC、サンフランシスコ、ニューヨークに集まり、女性の権利を訴えると共に、トランプ自身の女性を見下す数々の言動に対し抗議した。色々あった一年で大昔のようが気がするが、クリントンが最後の最後のどんでん返しで負けたこともあり、去年のデモ行進は非常に感情的で、又、多くの参加者が被っていたピンク色の毛糸で編んだ猫耳の「プッシー・ハット」が話題を呼んだ。

先週末のウィメンズ・マーチは、2017年の秋に発足した #MeToo 運動が背景にある。次々と著名なハリウッド・テレビ俳優、コメディアン、政治家、ニュースアンカー等が、セクハラや性的暴力を行ったと世論の法廷で裁かれたのだった。

このドミノ現象のスピードは凄いものだった。普段から目まぐるしい米国のメディアサイクルで、様々な権力者が次々と辞任したりクビになったりする模様を追うだけで精一杯だったのを覚えている。ほぼ同時期に、フランスでは、#BalanceTonPorc (直訳すると「あなたのブタを暴け」)といい、アメリカと同様にソーシャルメディアを駆使した運動が軌道に乗った。#MeToo ムーブメントは他に、イギリス、カナダ、メキシコ、インド等に飛び火し、短期間で国際化。CBSニュースによると、10月末には85ヵ国で#MeToo のハッシュタグを使ったツイートが1000件以上記録された。

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そして数カ月経った今。最近、「少しやり過ぎではないか」「男性の言動全てが#MeTooの対象になってしまうのでは危険」「#MeTooによって、女性が行為者性に欠ける被害者視されるのでは良くない」などといった反論の声が、一部のアメリカの女性から上がっている。

やはりバックラッシュが来たか、とため息をつく女性も少なからぬことでしょう。一方のフランスでは、映画女優カトリーヌ・ドヌーヴを含むフランス人女性が執筆した、#BalanceTonPorc 運動を問題視する公開書簡が注目を浴び、その反動で公開書簡に対する抗議も殺到している。米仏の間で「バックラッシュ」の要因は異なるが、いずれにしても女性の間の議論が今しばらく両国で続きそうだ。女性の権利の推進、そしてセクハラや性犯罪に対する文化規範をこれからどうやって考えていくか、どのような方針や戦略を選ぶべきなのか。結論はまだ見えてこないが、初期の熱狂がすこし冷めたところで、アメリカにおける議論は次の段階へと着実に進んでいるように思える。

ところで、前からぼんやりと不思議に思っていたことだが、何故 #MeTooは日本にそもそも定着しなかったのだろう。この騒ぎが起こる前のウィメンズ・マーチの時もそうだったし、日本社会は「流行」に弱い割に、社会運動的なことになると、抗体でもあるかのようにイマイチ盛り上がりに欠ける。

CNNによるツイッターデータの統計によると、去年11月時点で日本から発信された#MeTooのツイート数は、米国(52万件)、インド(2万4千)、英国(7万4千)、フランス(1万5千)、ドイツ(1万3千)、スペイン(7千4百)を大きく下回る4742件。パキスタン(3997件)とコロンビア(5217件)の間に位置する。主流メディアで#MeToo があまり報道されていなかったという原因もあるだろうが、もう少し反響があっても良かったのでは、と感じている。

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少し話がずれてくるが、日本では、電車や地下鉄の痴漢問題にしても、声を上げて回りの助けを借りて悪い奴をどんどん裁く、ではなく、女性専用車両を設けるという、女性が痴漢者に機会を与えないよう、悪く言えば「逃げ道」の方針を取ったわけである。まあ、私も使ってますけどね、どうして何も悪くない女の方が、混みあっている女性専用車両にぎゅうぎゅう詰めにされなければならないのか、とプンプンしてしまうのですよ。

そういえば、昔、出勤中にニューヨークのグランドセントラル駅で痴漢にあったことがある。男が逃げ出したので、近くでだべっていた警官たちに知らせると、彼らは食べていたドーナツを置き、「なんだって?奴はどこだ」と訊いた。人混みの中に消えていく男を指さして「あの人です」と言うと、「よおし、お嬢ちゃん!ついてきな!」と警官は急に走り出した。訳が分からず、私も高いヒールをカツカツ鳴らせて必死に後を追った。警官の一人が「今、痴漢野郎を追跡中」とラジオで応援を頼むと、わらわらと駅中から警官が出てきて、最終的にはマラソンのような大人数のグループで追跡。ついに街頭で男は取り押さえられた。

警察官のドーナツから、グランドセントラルを駆け巡る大騒動、「お前を逮捕する」というセリフまでの全てが映画のようで、私はポカ~ンとしてしまった。警察署で被害届の手続きをしていると、しかしどの警察官もとても親切に、「嫌な目に遭ったね、本当に可哀想だったね」「僕たちに教えてくれてありがとう」「捕まえられたのも君のおかげだ」と声をかけてくる。

それに比べ、日本で自転車に乗った男に後ろから抱きつかれた時は、交番に駆け込むと「お姉ちゃん、なんで痴漢を追わなかったの。やっつけちゃえば良かったのに!」と冗談を言われ、ムッとしたのを覚えている。痴漢に遭った瞬間に私がケータイをいじりながら歩いていたことが浮上すると、今度は「ああ、ケータイ見てると狙われちゃうんだよね~」と解説される。痴漢のショック以上に、交番の警官たちに対するガッカリの方が私の中で大きかった。(唯一同情してくれたのは、警察署で言葉を交わした女性警部。)まるで私に責任があるかのように話す態度に腹を立て、また絶対に捕まらないのだろうな、とすっかり悲しい気持ちになり帰宅したのだった。

このようなことが何度か続けば、#MeTooで声を上げるどころか、その場で警察に行こう、周りの人に助けを求めよう、という気が起こらなくなってしまうのは無理がない。遠くに住んでいる者の憶測に過ぎないが、逆に自分が非難されるかも…とためらってしまうのが、日本で#MeTooがイマイチ根付かなかった要因の一つとしてあるのでは。

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因みに私は、#MeTooが「少しやり過ぎだ」などとちっとも思わない。職場でよくあるさりげないセクハラ発言であれ、レイプのレベルに達さない行為だとしても、それは悪いことであるのに違いはない。そういった体験を#MeTooで声にし、他人の体験について読むことによって、「嫌なことが起きたのは自分の責任ではない」「そうか、自分と同じような嫌な体験をした人が他にいるんだ」と確認できること自体に十分意義があると、今のところ考えている。そもそも運動は「きっかけ」を作ることが主旨なのだから、それ以上の社会変動や政治的・法的な改革は、#MeTooやウィメンズ・マーチそのものに望んでいない。持続的な変化は、やはり投票ブースの中で起きると信じている。

さて、ウィメンズ・マーチの話に戻すと、今年は色々とひっかかることもあった。

デモ参加者はほとんどが白人女性、それも裕福な女性、のように感じた(男性もかなり混じっていたが、白人ばかり)。裕福な白人女性にだってもちろん、マーチする権利がある。しかしこの国で最も抑制されているデモグラフィックは、マーチが行われるような街に住んでいないのではないだろうか、土曜日を一日潰す余裕がないような経済状況にあるのではないだろうか、と思わずにはいられなかった。マーチに向かう地下鉄の中は、グリッターやシールで飾り付けたデモ行進用の看板を持った人で混雑していたが、途中で乗ってきたホームレスの女性や黒人男性にはびた一文あげない。それもなんだかなあと、複雑な気持ちになった。

また、参加者のプラカードを見ていると、「反トランプ」が包括的なテーマとしてあるものの、#MeToo関連のものや、DACAと移民問題、政府のシャットダウンなど、リアルタイムで起きていることに抗議するものが目立つ。去年に比べ、ウィメンズ・マーチのメッセージに統一性がない。

友人たちも「各自の理由で参加するのもアリだと思うけれど、自分自身が何のために行進しているのか、だんだん分からなくなってくるね」とモヤモヤした気持ちを訴える。そもそも友人ルポは「行進しても何も変わらない」と言っていて、いやいや私たちに付き合ってくれたのだった。来年もマーチはあるのかな、感謝祭とかベテランズデーみたいに恒例のものになるのかねえ、と話し合いながら、20ブロック歩いた辺りで行進から抜けた。

その日、友人のフリーダは、The Future is Women と大文字で書かれたセーターを着ていた。「未来は、女だ。」今現在は、それはまだとても曖昧な未来。




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by majani | 2018-01-23 07:18 | 言葉と物 | Trackback | Comments(4)

本とブラインドデート

私は母とよく本をトレードする。母は、私が頼んだ日本語の小説を何冊もスーツケースに詰めてやってきて、アメリカで手に入れた洋書をまた詰めて帰っていく。

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アマゾンで洋書を安く買っておいてあげることもあるが、海外の本屋はやはり楽しいもので、母がアメリカに遊びに来ると必ず二人で本屋に出かける。「本屋で憂鬱症のペンギンと知り合う」でも書いたように、本屋に足を踏み入れれば、インターネットショッピングでは得られない嬉しい「偶然」がそこにある。

先日、バーンズ&ノーブル(アマゾンの時代に頑張って生き残っているチェーン店)でアラン・ベネットの新しいエッセイ集を母と探していた。背の高い本棚の間を彷徨っていると、このような箱が。

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「本とブラインド・デート」

一冊ずつシンプルな茶色い包装紙と糸で包んであり、中身が分からないようになっている。「密会」「ニューヨーク史」「奇妙なサイエンス」「カリビアン・アメリカン文学」など、テーマやジャンルだけが赤い文字で記されている。福袋の本バージョンだ。

大学のフレッシュマンくらいの若いカップルの男の子が、本屋のスタッフに話しかけた。

「ねえ、これって新しい企画?イイね」(若いのに上から目線)

着込んである薄茶色のチョッキに黒縁眼鏡の、おじさんになりかけているスタッフは、静かに優しく喋る。

「お客様にもっともっと本を手に取ってもらいたくて始めた企画です。去年も大人気でした。だいぶストックが減ってしまいましたが、良かったら一冊どうぞ。」

「ふ~ん、面白いね。凄くクールだよ」

本屋でデートをしている若いカップルに胸がキュンとなり、また明らかに本好きで実に地味なスタッフに少し恋をしてしまいそうになった。いや、ほんとに良い企画ですよ!と鼻息荒く会話に飛び込みたかった。

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目ぼしいジャンルの本はもう買われてしまったのかなと思い、今回は本とブラインドデートしないことにした。

それでも、ブラインドではないけれどデートをしてみたい、と思う本が沢山見つかった。このタコの表紙の本なんか、とても面白そう。また、最近マイブームである多和田葉子の『雪の練習生』の英訳が平積みされていて嬉しく思う。もっとアメリカの読者に知ってもらいたい日本人作家の一人だ。

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話変わって、せっかくユニオンスクエア / グラマシーパークに出てきたので、私が学生の頃に母と買い物をした思い出の店、Fishs Eddy に二人で立ち寄った。

アメリカ製のヴィンテージ食器を扱っていて、根気よく探せば安くて使いやすい掘り出し物がわんさか出てくる。当時ここで母に選んでもらった楕円形の大皿や、少し変わった三角形の縁をした皿のセットなど、長年重宝している。母はここで可愛らしいミルクピッチャーのヴィンテージ物を買っている。

10年以上経ってまたこの店に二人で来られた記念に、ヴィンテージではないけれど、母は小鳥柄のマグを購入、私はこのヘンテコなヤドカリの・・・ヤドカリの何だろう。本来はコースター(?)なのかもしれないけれど、私があちこちに放置する癖がある指輪やピアスなどの守護神として、バスルームに住みついた。




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by majani | 2017-12-08 09:16 | 言葉と物 | Trackback | Comments(4)

スタンドパイプ探し

先日、ニューヨークに遊びに来ていた親と街の散策をしていた時のこと。

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交差点で青信号を行儀正しく待つというニューヨーカーらしからぬことをしながら母と喋っていると、側で静かに煙草を吸っていた父が、いきなり「そうだ」と叫んだ。

「思い出した。シャム双生児だ」

気がふれたのかと一瞬思ったが、続きを聞いてみると興味深い話だった。

マンハッタンの街を歩いているとよく見かけるのが、消火栓の「スタンドパイプ」である。ビルの脇や入口付近の壁からニョキニョキと生えていて、それを気に留める者は誰もいない。

一本のパイプが二つに分かれているその姿から、スタンドパイプはちょっと前まで「シャム双生児」と呼ばれていた、と父は説明する。元々は、19世紀のサーカスで有名だったタイ出身の結合双生児チャンとエン・ブンカー兄弟が「シャム双生児」の語源である。その後「シャム双生児」は人種差別的な表現とされるようになり、聞かなくなった。

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街で見かけるほとんどのスタンドパイプは比較的新しいため、「スタンドパイプ」と記されているものが多い。しかしたまに古いスタンドパイプを見かけると、未だにその上に「シャム・コネクション」と堂々と赤い文字で書かれている。差別用語、特に人種的差別用語に敏感なリベラルがうようよ住む小さなマンハッタンの島で、一瞬ドキッとする言葉だ。

そして、気が付き始めると、どんどん見つかる不思議。私が住むマンションの何気ないスタンドパイプも、古いタイプだった。

父は、テレビ番組で古いスタンドパイプを集めている変わったホビーイストの話を最近観たらしい。マンハッタンでスタンドパイプを見かけては、例の古い「悪い」名前は何だったかなとずっと思い出せなかったのが、ユニオンスクエアの交差点でふと戻ってきて、思わず「シャム双生児」と叫んでしまったのである。

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人種差別と言えば。

つい先週、ホワイトハウスで行われたナバホ先住民の退役軍人を称える式典で、トランプが、ネイティブアメリカンに強制移住を命じその数千人を死に追いやったアンドリュー・ジャクソンの肖像画の前でスピーチをしたことが、米国メディアで報道された。また、トランプはこのスピーチで、犬猿の仲にある民主党エリザベス・ウォーレン上院議員のことを「ポカホンタス」と呼んだ。

感謝祭休暇中は新聞をあまり読まずに平和に過ごしていたのに、週明けにはトランプが相変わらず頭がぶっ飛ぶようなことをしていたわけである。

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因みに父は、ユニオンスクエア付近の Strand Bookstore で売っていた「トランプの手(原寸大)」がツボにはまったらしい。ジョージ・オーウェルの 1984 が側で平積みになっていますね。



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by majani | 2017-12-05 05:33 | 言葉と物 | Trackback | Comments(2)

引越し作業

引越すことになり、ここ数日、ずっと家の物を箱詰めしている。

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7年近くもいると、やはり物は溜まっていくもの。殊に本は、家のありとあらゆる場所にリスのようにしまい込んであった物を集め合わせてみると、1000冊近くある。自分のお楽しみのためのフィクションや文庫本はともかく、アカデミックな本を全て売り飛ばしたとしたら、ちょっとした財産になりそうだ。アメリカの本はやたらと大きく、サイズが全てバラバラなので収納しにくいはずなのに、どうやってこの量を保管していたのかは自分でも不思議に思う。

大半の物は引越し業者に頼むから良いが、ごちゃごちゃした小物や、仕事で必要な書類などは、引越し騒ぎで無くなってしまっては大変なので、自分で分かりやすいように整理しながら箱に詰めていく。これがとても面倒くさい。

現実逃避を兼ね、母に電話をした。過去に海を越える大掛かりな引越しを難なく熟してきて、ナンデモアリフォルニアの立ち上げも手伝ってくれたベテランの母にアドバイスを請うと、日本の引越し業者の場合、寝室の物の箱詰めは女性スタッフがしてくれるなど、気が利いているが、アメリカだとそんなことないんだろうねえと、ため息をつく話ばかりだ。

確かに、そのような気遣いは、一切、感じたことがない。例えば、見積もりを出すために引越し業者が家にやってきたとき。戸棚の中身を確認したりしながら各部屋を回った業者の人は、金髪でキャラメル色に日焼けをした、マイアミヴァイスの刑事役みたいな感じのハンサム男で(例えが古い)、寝室に入るなり、「ハイ、なるほど、このタンスの中身は服ですね!」と、私の下着がごちゃごちゃ詰まっている引き出しを爽やかに開けて、爽やかにクリップボードにメモを取った。

私はこれで学習をし、明くる日、違う業者の人(今度はローアンドオーダーに出てきそうなおじさん)が来たときは、タンスを開けられる前に「衣類です!」とストップをかけた。別に見られてどうなるわけじゃなし、とも思うが、穴が開いているパンツが転がり出てきたら恥ずかしいじゃない?

引越しの当日は、大男が何人も家に押しかけてきて、一斉に物を箱に放り込み、壊れ物はとにかく緩衝材をぼんぼん一緒に入れて祈る程度の、大雑把な作業なんだろうな、と想像している。

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つまらないことを長々と書いてしまった。

引越しにおいて残念なのは、大学院の一年目から、窓の縁から私を静かに見守ってくれていたサボテンを置いていかなければならないこと。サボテンの名前はトニー。疲れていると、私はトニーに話しかけたりする。キッチンの窓に座っているハーブも置いていく。

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また、引越しを控えているのに何故か多肉植物を増やそうとしていた時期があり、そうしてやっと自立できたカッティングも誰かに引き取ってもらわなければならない。この子たちはのんびりしていて、一カ月してやっと根付いた。

グーグル検索すると、cactus という英語の言葉は、アーティチョークの仲間の cardoon というトゲトゲした植物のギリシャ語名 káktos が少し変化して、17世紀初期に使われ始めたとある。日本語だとシャボン(石鹸)としても使われていたため、シャボテンになったとか、どこかで聞いたような。シャボンはフランス語の savon(石鹸)ですね。

シャボン玉はシャボン玉なのに、どうして石鹸は石鹸と呼ぶのだろうと、つまらないことを考えながら、引越し作業を続けている。



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by majani | 2017-08-03 06:24 | 言葉と物 | Trackback | Comments(2)

桜とヤシの木

春のキャンパスの、ちょっと変わった組み合わせ。

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桜とヤシの木が隣同士で、張り合うように花と枝葉を見せっこしている。大学の説明に寄れば、この「ヨシノチェリー」は岐阜県からの贈り物だそうです。

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こちらはカイドウズミ(Japanese flowering crabapple)。ピンクの蕾が頬紅のようなアクセントになっていて、可愛らしい。

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アメリカハナズオウ(Eastern redbud)。

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ふと見上げると、鳥の巣が花びらに隠れている。このオフィスの人が羨ましい。

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これは何でしょうね。花の名前を沢山知っていて、まだ小さな私と一緒に散歩をしながら「これはモクレン」「これは沈丁花」と丁寧に教えてくれた祖父を思い出す。

最近のキャンパスは毎日、何か新しい花に気が付く楽しみがある。毛虫もぽつりぽつりと出没し始めましたが。



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by majani | 2017-04-02 06:47 | 言葉と物 | Trackback | Comments(2)

サヴィル・ロウ

ロンドン「下見旅行」の続きです。

日本語の「背広」の語源がロンドンにあるらしい。

ニーアル・ファーガソン著の本に、「セビロ」はロンドン中心部メイフェアの仕立て屋が並ぶ「サヴィル」通りから来ている説があると書いてあったのを、突如思い出した 。たまたまメイフェア周辺に泊まっていたので、ランチを探しがてら、「背広」の語源を求めて二人でサヴィル・ロウの散歩に出かけた。

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メイフェアはアップスケールなブティックや洋服店が並ぶ。

まずは作曲家ハンデルの家に寄り道。36年間、ハンデルは 25 Brook Street を住まいとし、ここで作曲をしていた。その200年後、伝説のギターリスト、ジミー・ヘンドリックスが隣の 23 番地に引っ越してきた。ハンデルが薄い壁のすぐ向こう側に住んでいたことを知り、ジミヘンは感銘を受けたそうだ。

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面白い偶然だけど、他に接点はあるのかな…と気になる人たちのために、ブルック街のフラットが資料館になっている。

長い間「ハンデル・ハウス」だったが、最近になって Handel & Hendrix in London という新しい名前で生まれ変わった。ハンデルだけでは観光客があまり来なかったのかしら。

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フラットの裏に回ってみると、小さなコブルストーン路地に隠れ家的なレストラン。

ロンドンで一緒にご飯を食べた教授の説明の受け売りですが、こういう路地は mews といい、その昔は一階が馬小屋として使われていたフラットが多い。

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Savile Row に到着。何か映画の撮影が行われているらしく、ごちゃごちゃした器具が散乱している。(ビートルズのレコード会社、アップル・コアの本社もこの通りにあるんですよ。)

さて、背広の語源の話に戻ると、サヴィル・ロウの サヴィル → セビロ という名が付いたというのが一説。

紳士服店をいくつか覘くが、どの店も客が入っていない。店内できちんと髪を梳かした細身のイギリス人店員がポケットスクエアを正したりしている。路上から見える薄明りの作業室は立派なミシンが並ぶ。男だったら一着作ってもらいたいところですが、高いのでしょうね。

因みに、オーダーメイドの仕立て屋のことを英語で bespoke tailor という。これもまたアメリカであまり聞かない言葉(特にスーツ文化が薄いサンフランシスコでは)。

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若者向けのビスポーク・テイラーも何件かあるが、サヴィル・ロウの老舗店といえば1806年創業の Henry Poole & Co.。すべてが手製なので、一着のスーツを作るのに60時間余り要する。ヘンリ―・プールのスーツはウィンストン・チャーチル、チャールズ・ディケンズ、オスカー・ワイルドなど様々な歴史的人物や文化人に愛されてきた。

後に昭和天皇となる皇太子裕仁親王も1921年にヘンリー・プールを訪れている。ファーガソンの本には、「結婚を控えているジャパニーズプリンスは、買い物三昧を楽しみにロンドンに来ていた」とある。ヘンリ―・プールの記録によると、皇太子は「高級なカシミアスーツ」や「縞模様のフランネルスーツ」の他にモーニングやディナージャケットなど、出来立てほやほやの洋服をたくさん持ち帰ったそうだ。

ふむふむ、皇太子がここに来たのねと二人で店の前に突っ立っていると、撮影の休憩中なのか、黒いジーンズにボマージャケットの若者が機材を抱えて出てきて、石階段にぺたりと座り込み、煙草に火を点けた。

ちょっと渋い、サヴィル・ロウの散歩でした。もう少し大人になってから、戻ってきたい。

ロンドンの旅、続く。

参考文献:Ferguson, Niall. 2011. Civilization: The West and the Rest. New York, NY: Penguin Books.「セビロ」とヘンリ―・プールの話は220-1ページ参照。




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by majani | 2016-12-10 07:32 | 言葉と物 | Trackback | Comments(0)

国づくり

シンガポール旅行記の続き。

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アルメニア教会や英国植民地時代からの古い建築物が残されている、シティセンターとは思えない静かな一角に迷い込んだ。コールマンストリートからアルメニアストリートへ歩いてゆくと、シンガポール切手博物館が見えてきた。


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日本軍がシンガポールを占領していた1940年代初め、英国の植民地支配のイメージから距離を置くのを目的に、日本文化・伝統を示す切手が発行される。「マライ」というカタカナの文字が印象的だ。なるほど、文化を広める場合、切手は大変役立つ。誰もが使わなければいけない物で、しかし高圧的な感じがしない。切手のデザインに政治的な意図があったわけですね。


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シンガポールは様々な文化、伝統、人種が入り混じる若い国。多様性をいかにマネージし、安定した国づくりをすればよいのか―こういった課題は独立当初から国の政治に深く根差している。ピカピカの高層ビルや建設工事現場などを見て、何となく感じたことだが、アジアの奇跡とも呼ばれる経済的成長の陰で、貧富の差が拡大していくことを考えると、「差」と「違い」の統治は、この国にとって、今なお重要な課題として在り続けるのでは。

何故急にこのような話をするかというと、シンガポールの「国づくり」が郵政に見受けられ、ちょっと面白いのです。

例えば、1969年に発行された「多様性を祝う」シリーズには、マレーの伝統的なダンスを披露する踊り子の絵や、中国のお面のデザインなどがある。濃いフューシャ、辛子色、ロビンズエッグブルーなど、綺麗な色彩だけれど、何故こんな切手をわざわざ作ったのか。切手は国全体で同じものが使われるわけだから、学校で教えられる教科書の内容や公用語と同様、国創りに関わっている。多様な人種と文化を、政治的紛争の元ではなく、ポジティブなものにしている。むしろ多様性こそが、この国のアイデンティティであるというメッセージを発信しているようにも感じられる。そんな若い国の様子が、こうしてちっぽけな一枚の切手に表現されているのだ。そう考えると、ね、感慨浅からぬものがあるでしょう。


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もちろん、政治と全く関係ない切手も。野生動物の描写が多く見られるシンガポールの切手。1990年代には、ヤッコエイ(blue-spotted stingray)の切手が発行される。当時、私は家族でシンガポールに住んでいたわけだが、家にこのエイの切手が大量に買い置きしてあったのを、切手博物館を訪れて久しぶりに思い出した。しかしこれほど買い込んで、一体誰に手紙を出していたのだろう。エイの切手は一枚残らず使われてしまった。


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館内の階段を案内してくれたのは、ヤギ?羊かな。

切手をじっくり拝見した後、一人で大いに興奮して出てきて、エイの切手があったよと母に報告した。「シンガポールで切手博物館を見てきた人なんて聞いたことがない」と母は笑っていた。これはもっともで、一般受けしないのがよく解る。とにかく地味である。小さな博物館で、遠足で来ている小学生(幼稚園児?とても小さな子供たちだ)のグループを除き、誰もいない。一階のチケット売り場、兼ギフトショップでは、麻のシャツを着た博物館のおばちゃんが中国茶を淹れて和んでいる。

あとネーミングが悪いことね。Philatelic Museum なんて言われても、フィラなんですって?と聞き返してしまう。Phil(o)- は古ギリシャ語で「愛する」とか「好む」という意味で、現代英語でよく登場する。哲学(philosophy)は英知に対する愛、慈善活動(philanthropy)は人類への愛、愛書家は bibliophile、フランス好きの人は francophile など、日常的な会話にも出てくる言葉が色々ある。しかし philatelic は一度も耳にしたことがない。ギリシャ語の ateleia は免税されている、という意味がある。文字通り「免税されている物を好む」切手趣味、ということなんですね、

という面倒くさい説明をしなくて済む Museum of Stamps にしちゃったらいいのに。もう少しお客さんが来ると思うんだけどなあ。

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私はシリコンバレーに住みながら、旅先から送る葉書にロマンを感じてしまう古い人間なので、中国茶を飲んでるおばちゃんの所で素敵な切手を買い、博物館の郵便ポストから絵葉書を投函…すればよかった!

良いアイディアは必ず、そんなに遠くないけど、戻るにはちょっと面倒くさい距離を行ってしまってから、ふと浮かぶ。


Or me.

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by majani | 2015-06-15 06:37 | 言葉と物 | Trackback | Comments(2)

ゴーヤのせい

引き続き、一時帰国中の話。

いつからか、「趣味がない」というのが母の口癖になっていた。単に断言しているわけではなく、母の言い方からして、「私には趣味がないから、まったく困ったもんだ」という意味合いだと推測される。

趣味がないと如何して困るのかはさておき、この発言は世紀の大嘘、じゃなくてとんだ勘違いである。母は仕事を続けているにも拘らずむしろ多趣味だ。語学の習い事の他、読書好きで、家ではレコードをかけて父と楽しそうに踊っているし(私は空しく単独で)、的確でスピーディーな編み物を得意とする。母からアメリカ宛に送られてくる郵便物には、「先週、Law & Order を観ながら編みました」という葉書と一緒に手編みのカーディガンが丁寧に詰めてあったりする。母がエグイ発砲沙汰シーンなどを観ながら編んだと思うと、殊更カーディガンに愛着が沸く。

熱中していたかと思えばある日パタッと辞めてしまった「趣味」もある。母は一時期キルティングにはまっていた。「キルティング仲間」と一緒にそれは狂ったように針を動かし、当時住んでいた家には、ここはアメリカ中西部のカントリーハウス?と間違えられてもおかしくない量のベッドスプレッドがあった。全部が手縫いだったので私も小学校のときに手伝わされた覚えがある。様々な大作を築いたら飽きてしまったのだろうか、母の短くも激しいキルティング時代はアッサリと幕を閉じることになるが、今でも家の変な場所からキルティングの切れ端(未完成の作品があったらしい)がぽろっと出てきたりする。何故あれほど夢中になっていたか、母自身にも理解不能だ。

キルティングやらには流行り廃りがあるが、母は長年ガーデニングを愛してきた。この趣味だけは、変わらぬまま。ガーデニングと言ってもマンションなので、大半が室内もしくはベランダで育つ植物である。ココヤシ(愛称はそのままココヤシちゃん)や、パキラ(パキラちゃん)、まん丸の大きな種から育て上げたアボガド(やっぱりアボガドちゃん)、オリヅルラン(少し難しい名前になると、あだ名が付かないらしい)などは昔から我が家に住んでいる。季節によってシクラメン、ポインセティア、オクラ、プチトマト、ハーブ各種が登場する。

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大きくなり始めてまだ日が浅い。


今回、私が実家に帰ると、ベランダでゴーヤが元気に育っていた。それはベランダの一角に覆いかぶさるように蔓が伸びており、所々に薄い黄色の花が咲いている。葉は顎のラインが尖ったコアラの顔のような形だ(分かりにくい説明)。そして一番下の方に、一つだけ小さな萎んでしまった緑の風船のような物体がある。葉が生えてもいないようなところにゴーヤの実が生っているではないか。長年大切に育ててきたのに一度も実ができなかったアボガドに対し少し冷たく接する母のその愛情は今、この一つのゴーヤの実に全力で注がれている。もっと蔓が渦巻いているようなところに生るものだと思っていたが、とりあえず頑張れ、ゴーヤちゃん!思わせぶりで気まぐれなアボガドに代わって、母の愛に応えてくれるだろうか。

みるみる大きくなる、丸みを帯びたゴーヤ。それを煙草を吸いにベランダに出た父が真剣な表情で観察し、水をやったりしている。

このゴーヤのせいで、私はとうとうワゴンから落ちてしまった。何回目になるだろうか。「ワゴンから落ちる」(fall off the wagon)は元々「禁酒に失敗する」という意味があるが、ダイエットなどに失敗したときにも用いられる。私の場合は喫煙に失敗したのだ。それも潔く落下したというよりも、鯨を見にいった7月からずるずると引きずり下ろされ、とうとうワゴンに逃げられたという感じである。


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Baron C. de Grimm. 1893. Public domain.

それにしても日本は煙草が吸いやすい。北ナンデモアリフォルニアに比べれば喫煙者が断然に多いし、お酒がある所では必ず煙草が吸える。

いえ、環境のせいにしているわけではないですよ。ゴーヤのせいなのです。

ベランダに出るとゴーヤがまずそこにあり、その手前に父が灰皿代わりにしている大きな皿と低い椅子が置いてある。椅子に座るとちょうど目線がゴーヤちゃんのところに来る。ゴーヤの様子を見に外に出ると椅子に座るのが自然で、座るとちょうどそこに灰皿があるのだから、では一本吸いながらゴーヤを眺めようではないか、となってしまう。東京には私の喫煙の友、ウッドバート・ドミンゴがいないかわりに、ゴーヤちゃんが煙草の友になってしまった。

しかしそのゴーヤちゃんも先日収穫されてしまった。「もうそろそろ収穫の時期じゃない?」「まだ大きくなるんじゃない」「そろそろ収穫していいかなあ」「いいや、まだまだ」「今日くらい収穫?」という他愛ない家族会議が何日か続いた末、我慢できなくなってしまった母が、「私、収穫しちゃう!」とベランダに飛び出て、勢いで切り取ってしまった。

立派なゴーヤチャンプルに変身したゴーヤちゃんは、あんなに可愛がられていたのに実際に食べてみると「なんか、けっこう苦いね」と不評だった。そりゃあ苦いよ、ゴーヤなんだから。

再び煙草の友がいなくなり、少し寂しいベランダ。今朝、何も生っていないゴーヤの蔓をぼーっと見ていたら、なんと、奥の方にもう一つゴーヤの実ができている。食べてしまったゴーヤより何倍も大きく見える。受粉もせずに放ったらかしにしてあったのに、こいつはひっそりとすくすく成長していたのだ。

新しい煙草の友(ゴーヤちゃん二号)ができてベランダに出る楽しみがまた一つ増えてしまい、当分ワゴンに乗れないのではないかと心配になる。自分が強い意志を持てばできるはずなのに、やはりゴーヤのせいにしてしまう今日この頃。

その一方で母はそろそろゴーヤに飽きてきたようで、新しい「趣味」を開拓しようとしている。

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by majani | 2014-09-12 00:04 | 言葉と物 | Trackback | Comments(0)

本屋で憂鬱症のペンギンと知り合う

この間、サンフランシスコのシティーライツ本屋(City Lights Books)のウィンドウ前でコーヒーを飲んでいたら、「良い本屋とはどんな本屋だと思う」と友人に聞かれた。

「それは人によるんじゃない」

「じゃあ、君の場合は」

「具体的な本を探しているとき、それが見つかると嬉しい」

「人によるというか、それは誰でもそうだと思うけど…」

まったくそのとおりである。そこで「良い本屋」について少し考えてみた。

もっとも、最近は近所の古本屋に入り浸っている。いつも「旅に待ったなし」をモットーに生きている私は、本屋に入ったときも「本に待ったなし」と思ってしまう。たまたま見つけた面白そうな本をその場で買っておかないと、次に本屋に入ったときに見つからなくなってしまうからだ。表紙の色やデザインはぼんやりと記憶に残っていても、タイトル、ましてや著者を覚えていることは極めて稀。つまり忘れっぽいのだ。

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古本屋の掘り出し物。

この「たまたま見つけた」というのが重要で、別のものを探している途中に何気なく手にとった本のページをぱらぱら捲っていたら、じわじわと興奮してくるのが良い。家に持ち帰って一気に読みたくなるような本、それも書評など見つからないような無名の作家が書いた小説や、表紙が大人しいわりには一ページ目からにして不条理な展開が待ち受けている短編集など、そんな本に偶然に巡り合うと実にワクワクするではないか。

こういった「偶然」を確実に生み出す本屋、それが私にとって良い本屋である。もちろん、まったく無茶な要望で、「偶然」を「確実に生む」ことは矛盾しているように思える。しかし本の配置やテーマ別のディスプレイなど、工夫の余地が色々あるわけで、この点で本屋側は美術展のキュレーターに似ている。「たまたま見つけた感」が如何に感激的で、またどのような頻度で生まれるかは、ある程度、本屋側のセンシビリティによって決まる。

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印象深い表紙なのに小説家の名前をすぐ忘れてしまう、悪い癖。 Royle, Nicholas. 2013. First Novel. London: Random House UK.

こんな会話を友人としていた City Lights Books はサンフランシスコの中華街とノースビーチの境目にある有名なインディペンデントブックストアだ。

昔はビート詩人や小説家が集まった、映画に喩えるとミニシアター系、音楽に喩えるとインディー系とでも言おうか、とにかくお洒落でヒップな本屋である。地下のノンフィクションの在庫は乏しく思えるが、フィクションに関しては充実しており、入り口近くの最新ペーパーバックを始め、ウィンドウに飾った風変わりな本や世界文学の本など実に楽しい品揃えで、面白い本が「たまたま見つかる」ことに期待できる本屋である。また、二階の詩の部屋や本棚の間などに椅子が置いてあるので、立ち読みどころかしっかり座って本を吟味することができる。

サンフランシスコの街に出ることはあまりないが、近所のインディペンデントブックストアや古本屋によく立ち寄る。古本屋の場合、一見キュレーター並みの工夫は何も無いが、やはりどんな古本を買い取るかによってその本屋の独自性が現れる。近所の古本屋は、クラシックな本の早版や少し変わった限定版、また詩集もかなりの数が置いてあり、うかうかしていると二時間ほど長居してしまう危険がある。

先日訪れたときは、狭い通路に山積みにされていた本の中から「ジョン・ミューアの歌」という薄いノートみたいな本が出てきた。ミューアウッズのことは以前少しだけ書いた。投げやりな感じに通路に置いてあったのを手にとって始めて知ったが、ミューアは作曲もしたらしい。たまたま見つけた本は、挿絵付きのミューアの曲集だった。


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出会い物はジャケ買いもアリ。Nooteboom, Cees. 2003 [1994]. Trans. Harvill Press. London: Random House UK.

今まで「たまたま見つけた」本の中で気に入っている例として、ウクライナ人作家アンドレイ・クルコフの『ペンギンの憂鬱』1996年)。

憂鬱症のペンギン、ミーシャと共に暮らしている貧乏作家の話で、不思議に満ちた悲喜劇だ。ハードボイルドな要素があるにも関わらず、不眠に悩むミーシャが人間っぽくアパートを歩き回ったりため息をついたりするシーンなど、日常生活の哀愁と孤独の描写が面白く感じられる。

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私もウツっぽいペンギンと暮らしたい。Kurkov, Andrejy 2001 [1996]. Death and the Penguin. Harvill Panther.

因みにロシア語の原題は『氷上のピクニック』、私が読んだ英訳は Death and the Penguin 『死とペンギン』である。海外文学のタイトルがどうやって訳されるか、その翻訳政治について私は何も知らないが、実に興味深い。例えば、続編に Penguin Lost (ざっと訳してみると『喪失したペンギン』、『ペンギン喪失』)があるが、原題は『カタツムリの法則』で、また仏題は Les pingouins n’ont jamais froid (『ペンギンは寒がらない』)。この『カタツムリの法則』というタイトルがとても気になる。

もう一つ例として、60年代におけるラテンアメリカ文学ブームの代表的な作家であるマリオ・バルガス・リョサ。よくガブリエル・ガルシア・マルケズなどとひっくるめて「ラテンアメリカ文学作家」とされてしまっている(私もたった今そうした)。最近、彼の作品の中であまりよく知られていない非政治的な本が気に入っている。ユーモアたっぷりの『継母礼賛』(1988年、Elogio de la madrastra )も、やはり、たまたま見つけた本だ。

友人との会話に戻ると、私たちの場合、基本的に毎日読んでいる本はウツっぽいペンギンとかセクシーな継母とかの話でないことは言うまでもない。研究の関係で本を探しているときは普通の書店で見つからないケースが多いため、インターネットで購入するか図書館で借り出すことになる。偶然に頼ることも、もちろんない。

「じゃあ、けっきょく良い本屋に求めるものは何だろう」と友人。

「小さい本屋ってけっこう好き。まあ、小さいから良いということはないけれど。一番嬉しいのは、まさにこの本屋に入らなかったら絶対に知ることのなかった本が見つかることじゃないかな。」

「ふーん、なるほど。僕は大きな書店も好きだけどね。平積みになっている本を見るのって楽しいと思わない。なんとなくトレンドも分かるし。」

「そうそう。あと、心地良いアームチェアが所々に置いてあるとさらに良いね。」

「けっきょく本屋でもくつろいじゃうんですね!」と明るくコメントする友人。

本屋でも、が余計だが、それはさておき…。

ある意味、大学院生は憂鬱症のペンギンのようだ。同僚や教授と共同研究をする時期もあれば、孤独な時間もあり、夜遅くオフィスを歩き回ってため息をつくこともしばしば。くつろぐ時間は大学院生にとって、とても大切な時間だと思う。インターネットで本を買うのが主流になっている時代だからこそ、昔ながらの本屋に足を運んで、偶然と憩いを求めてしまうのかもしれない。

あと、冷房。ざ・ふぁーむは最近、とても暑い。

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by majani | 2014-08-04 14:53 | 言葉と物 | Trackback | Comments(0)


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