リルケと私は学会や研究発表で出張に出ることが多い。全てがコロナに飲み込まれる前は、相手が観光向きの場所に出向く場合、もう一人がくっついて行き、本来はつまらない出張を二人で楽しむお遊び旅行にしていた。去年のローマ旅行は私がリルケの仕事に便乗して乗り込んでいったパターン。
酷暑の中、リルケはワイシャツを着込んで出かけ、私はつっかけサンダルと涼しい麻で美術館へ向かった。
早朝はファッション界のイベントで貸し切りだったようでその関係者たちがまだちらほら中庭で話し込んでいるが、ほとんど人がいなかった。美術館を独り占めしている気分だった。
15世紀に Riario家によって建てられたパラッツォは、その一世紀後 Marco Sittico Altemps枢機卿により修復され「アルテンプス宮」として知られるように。1997年に国立博物館の一館としてオープンした。
古代ローマ時代の邸宅の遺跡の上に中世、そのまた上にルネッサンス期の建物、という具合に建設されてきたらしい。これが時代のラザニアのようで実に面白い。展示室によって、中世のタイルが足元に敷き詰められていたり、壁の一部にルネッサンス期のフレスコ画が残っていたりする。ずーっと昔の古代ローマの遺跡の跡も、一部公開されている。
彫刻までが頻繁にラザニア法式になっているから面白い。例えば上のアテネ像。紀元前5世紀のギリシャ彫刻をモデルとした胴体の部分は、Alessandro Algardi により17世紀に造られたものだ。しかしヘビを含む部分などはさらに昔の物で、もともとはヒュギエイア (英:Hygieia、ギリシャ、ローマ神話に登場する、ヘビがトレードマークの健康と衛生の女神で、ローマ神話では Salus のラテン名で知られる)の彫刻だったとか。
頭だけ取り換えたとか、手だけ女の物を借りてきたとか、時代もスタイルも時には性別まで違う身体の部分をパッチワークにしている彫刻は意外と多いみたいだ。
頭がもげていたり、もげていなかったりする古代の神々、文化人、政治家たちを沢山眺めてきた。16~17世紀に渡りローマの貴族階級が所蔵していた彫刻が美術館のコレクションの中心となっている。
石とクレイと大理石の涼しい空間が続く。時折、白い光が容赦なく降り注ぐ外の世界の断片が背の高い窓から見える。
館内は時間の流れが違う法則に従っているかのような感じだった。ちょいと腰掛ける椅子やベンチがあったりする。
この時期、私は新しい家探しをしていたため、インテリアデコールのヒントになるものを何となく写真に収めていた。アルテンプス宮では大理石やガラスの破片など、新しい家のインスピレーションになる装飾品と小物をたくさん見た。
クールな印象になりがちなタイルでも、上のような暖かみのある色のものは、ヌガーに琥珀、珊瑚に柿、熟れたアボカドに荒地に生えるヒースなどと、生命力あるものを連想させる。
あ、ヌガーは普通のお菓子か。というか単に食べ物の連想か。
古代ローマやエトルリアの細々としたキュリオの展示がまた面白かった。
動物型の子供の玩具だったり、陶器、人形、装飾品などを通して当時の人々の日常生活が垣間見える。上はたしかおはじきのようにして使われていたものだったかな。
耳や足を集めたコレクション。ちなみに左に写っている湯たんぽみたいな、ダンゴムシみたいなのは子宮とある。このいでたちで、どうして子宮だと分かるのだろう。私はダンゴムシ説に固執する。
それぞれ吹き出しを付け加えたくなる、表情豊かなスタチュエット。
宮殿の二階に移動する。
ここからカップリングが多い。手前は、下半身がヤギであるパーンが、羊飼いダフニス(伝令使ヘルメスの息子でもある)にハーモニカの祖先のようなパーンパイプの吹き方を教える場面。
戦に敗れたガリア人の戦士の彫刻。押し寄せてくる敵を目前に、妻を殺し、自らの命を絶つ場面。
アモレとプシュケ。(そういえば
違うバージョンをニューヨークのメトロポリタン美術館で見ている。)
オレステースとエレクトラ。二人ともギリシャ神話の人物。
アガメムノン王の娘エレクトラは、エウリピデスやソポクレスなどによる(ああカタカナ多いと目がちかちかする)古代ギリシャの悲劇作品に描かれている。だいぶ端折るけれど:父のアガメムノンは、トロイ戦争からカサンドラ姫を連れてミケーネに帰還した直後、姫と共に殺されてしまう。その時アテネにいて留守だったエレクトラは、父親の墓の前で兄弟のオレステースと再会し、二人は復讐の作戦を練る
のだったと思う。うろ覚えだ。ギリシャ神話に出てくる家族関係ってとにかくフクザツ。しかし2メートルほどあるこのエレクトラ、髪の毛のくりくりの部分までが柔らかに見えて、大らかで頼りがいがある感じ。
がやがやした観光地に佇む外見が地味なパラッツォ・アルテンプス。中は静かな時が流れていた。
